fc2ブログ

五十路日本ひとり旅

2016年04月 | ARCHIVE-SELECT | 2016年06月

| PAGE-SELECT |

≫ EDIT

5月29日(日) 41番龍光寺~43番明石寺

天気 雨
6時に道の駅を出発する時は霧雨気味。
今日一日で喜怒哀楽すべて体験した。
愛媛は「菩提の道場」と言われるが、自分は菩提(悟り)とは正反対で、煩悩に満ちていることを痛感させられた。

41番龍光寺は7時の納経所受付開始前に訪れたが、更に早いお遍路さんがいた。
愉快な男性お遍路さんで、納経所の人と話しているのを聞いていた。
男性「先日、先に納経所に行って朱印を貰おうとしたら、先に本堂に参拝してから来て下さいと言われた。」
納経所「ウチの寺も確認します。なので団体の場合、納経しているのを見てから朱印を押します。」
男性「今年は逆打ちが多いが、逆に回るのならば、納経の手順も逆に先に朱印を貰い本堂に参拝する手順にした方が良い。」
軽いジョークに笑った。【小楽】

42番佛木寺に向かう途中に中山池という割と大きい湖のような池があり、説明板には、400年昔の人が農業のため近隣に良い水場がないので私財を投じてこの池を造った話が紹介されていて、昔の人の度量の大きさに感動した。【喜】

徐々に雨が強まってきた。
道を行く車の中の一部は、歩行者に水はねするのも気にせず、歩行者のすぐ脇を猛スピードで通り過ぎて行く車がいる。【小哀】【小怒】

43番明石寺に向かう途中の歯長峠の下り道で、雨脚が強まる長い山道を歩いている私を見て気の毒に思った車が停まり、助手席の婦人がドアを開け「明石寺に向かうのなら車に乗りませんか?」と声をかけてくれた。
今旅行中、乗車の誘いは初体験。
ズブ濡れで汚い私に声を掛けてくれるだけでも感動。
丁重にお断りし心遣いにお礼を述べた。【喜】

明石寺で本堂と大師堂の参拝を済ませて納経所に向かうと、丁度遍路ツアーの団体が到着しガイドの人が納経所の受付に大量の納経帳を差し出した。
始めは不運と思い団体の納経帳が終わるのを待っていたが、徐々に腹が立ってきた。
思わず「私の方は本堂のお参りを済ませてから納経所に来た。団体は本堂に行く前に納経所に来た。別の寺では本堂の参拝を済ませてから納経所に来て下さいと言う寺もある。団体は順序を守らなくてもいいのか?」と言った。
納経所の人は「私は寺から委託されて仕事しているだけなのでよく分からない。」と言いつつ、団体の納経帳の間に私の分を割り込み朱印してくれた。【怒】

雨の中歩道を歩いていると、向こうから近所に住む老婦人が少し大きめのビニール袋をぶら下げて歩いてきたが、10mほど手間で私を見つけると歩道脇に立ち止り私を待った。
お互いに歩いきながらすれ違えるスペースは十分あるが、老婦人は立ち止まったままで私が通り過ぎるのを待ち、「ご苦労様です。お身体気をつけて下さい。」と声を掛けられた。雨の中老婦人の心遣いが深く心に染みた。【喜】

明石寺を打ち終わり宿に向かう途中、川沿いの遍路道を進んでいた。
宿に向かうので遍路道にこだわる必要はないが、川向こうには車通りが多い繁華街が現れ、進んでいる方向は車通りが少なく閑散としている。
車通りの少ない方が気が落ち着く。
宿に着く前に夕食を買う必要がある。
そろそろ対岸の繁華街の店で買い物したいと思いながら、いつまでたっても橋が現れず川向こうに渡れない。
また徐々に雨脚が強まってきた。
早く買い物と雨宿りを兼ねたいのに一向に対岸に行けず、思わず金剛杖にやつあたりして歩道に打ち付けた。【哀】【怒】

大洲市内に入り宿まで数十分の所まで来て雨は土砂降りになった。
すると、歩いている私の側に軽トラが停車し、本日2度目の乗車の誘い。
とても嬉しかった。
しかし全区間歩き通したいのに加え、車に乗るにも余りに濡れ過ぎており、今度もお詫びしてお断りし礼を述べた。【喜】

びしょ濡れで宿に着くと、口数の少ない宿の主人が、靴乾燥機を利用できること、風呂や洗濯機の利用など、私の気持ちを察した必要事項を簡潔に説明してくれた。【小喜】【小楽】

人の振り見て我が振りを反省する一日。


愉快おじさんと出会った41番龍光寺


中山池で若者がブラックバス釣り


中山池の歴史


皆さん集まってどうしたのかしら?
(これから草刈り作業をするところでした)
道を綺麗にしてくれて有難うございます


佛木寺の山門


明石寺への途中に通る歯長峠のトンネル。
この後夫婦の車が停まり乗車の誘い


途中出会った休憩所脇に遍路墓


重厚な本堂の明石寺


西予市宇和町の伝建群保存地区


分離歩道のない長さ1km強の鳥坂トンネル


色々あった一日を終え宿に着く

06時00分 道の駅みまを出発
06時30分 龍光寺に着
08時20分 佛木寺に着
12時50分 赤石寺に着
17時50分 松楽旅館に着

歩行時間 9時間20分
歩行距離 41km
スポンサーサイト



| 四国遍路旅 | 07:03 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

≫ EDIT

5月28日(土) 20日目 41番龍光寺への移動日

天気 雨時々曇り

昨日確認した時点での天気予報は曇りだったが、夜中からずっと小雨が降り続いている。
天気予報をあてにして屋外にテントを張ったため、テント収納に雨拭き作業が加わり予定より遅れて出発する。

テント泊した須ノ川公園は直ぐ近くにゆらり内海の湯という風呂があり、温泉ではないが海洋深層水やマイクロバブルを利用した特色ある風呂で、キャンプ地としてとても良い環境だと思う。

今日もまた次の寺に向かう移動日。
時間的に余裕はあるが、小雨の中なので行動面で余裕はない。なるべく安全なルートを進むことにする。
昨日まで道中で出会った遍路者は毎日1人のみの日が続いていたが、今日は朝に早速私と同じ順打ちの人を見かけた。
ところが彼は途中の風園という公園に休憩で入っていったため、挨拶は交わさずじまい。
その後逆打ち遍路者2人とすれ違い挨拶する。

昼食時間に偶々ランチバイキングをやっている店の前を通りかかり、今日は時間に余裕があるので今旅行中初めて食堂で食事する。
山道や田舎道を通ることも多いお遍路では昼時に気に入った店の前を通ること自体が奇跡的だ。
データ入力作業などもしながら食事したため1時間半も店にいてしまった。さすがに遅れ過ぎたので先を急ぐ。

全長1700mある松尾トンネル前まで来ると、遍路道は峠越えのルートに分かれる。
時間も遅れ雨に濡れて道も悪そうな遍路道は回避してトンネルを進む。
トンネルの半ばを過ぎた所で女性の逆打ち遍路者と出会った。女性は優しい笑顔で挨拶して通り過ぎて行った。

これまで女性の歩き遍路者とは3人出会ったが1人目は宿で2人目は明るい道で会っている。
今回トンネルの中で、しかも逆打ちの一人女お遍路さんということで、さすがに勇気を感じた。
男性よりも更にハードルは高いだろう。
例えばトイレ一つにしても男性の方の自由度は圧倒的に高い。
それでも笑顔で挨拶して行った女性を見て、その陰にある意志の強さを感じる。

これまでの旅で会話したお遍路さんの人数自体が少ないので確かなことは言えないが、話した男性お遍路さんは他者との関係でお遍路する印象があるのに対して、女性お遍路さんは自分のためにお遍路する印象がある。
もしかすると、男性は仕事中心で生きてきた反省からお遍路するタイプが多く、女性はこれまで他者のために多くの時間を割いてきたのでこれからは自分のために時間を使うという気持ちでお遍路するタイプが多いのかもしれない。
まあ人それぞれの生き方なのだ。

今日の目的地「道の駅みま」には、予定より1時間遅れの18時に到着。
とても広い道の駅で野宿はしやすそうだが、他人の迷惑にならずしかも自分に都合の良い場所は限られる。


須ノ川公園から20分ほどの漁港では養殖中。
どうやら真珠らしい


また自転車歩行者用トンネル


ジュテームという店でランチバイキング


全長1700mのトンネル内では女性の逆打ち遍路者とすれ違い


大きなハクモクレンの花


大村益次郎が住んでいた地を通る


宇和島城に寄り道


今夜の寝床・道の駅みまに着

07時45分 須ノ川公園キャンプ場を出発
11時05分 昼食(ジュテーム)
18時00分 道の駅みまに着

歩行時間 8時間20分
歩行距離 40km

| 四国遍路旅 | 04:40 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

≫ EDIT

5月27日(金) 19日目 40番観自在寺

天気 曇りのち時々晴

2日間降り続いた雨は上がり、出発時は曇り。
宿に泊まれたので、靴とザック以外は洗濯して乾燥できた。
今日は高知と愛媛の県境の松尾峠を越えて愛媛の最初の寺・観自在寺を目指す。

松尾峠へは古い遍路道を進むため、あぜ道や登山道のような道を通る。
途中で逆打ち遍路者に出会った。
丁度道が2方向に分岐している地点。
私とすれ違った後に彼は分岐点にあった標識を数秒確認して、本来と違う方向への道を進んだ。
私は彼に道が違うことを教え、彼は正しい道に戻った。

道を間違えずに進むのは大変な作業だ。
私も今朝出発後、早速15分後には道間違えしている。
スマホで道の方向を確認しながら歩いている時に右折標識を見落としそのまま直進してしまった。
同時に2つのことをしようとすると間違える。
スマホで確認する時は歩きを止める。
簡単なことなのについやってしまうケアレスミス。

一方、標識がありきちんと確認しても間違えるのは様々な問題がある。
今日の逆打ち遍路者の場合は、標識の分かり難さと思い込みが重なったと思われる。
標識は縦横2次元の平面の板に表示されるが、現実には3次元の空間を動くので標識の読み間違いが発生してしまう。
更に今回の場合は、正しい道の方が下草の茂った細い道で、歩きやすい道の方が間違った道だった。
以前ブログで紹介した台湾女性と一緒に歩いた時にも、標識をきちんと確認していながら違っていた。
この時は、確認した標識が車用の標識で歩き遍路には別道があるというケースだったが、近所の親切なご婦人に教えていただいた。
しかし標識が車用か歩行者用かまで丁寧に説明している標識は(滅多に)ない。
(以前自転車旅行した時に稀に見たような気がする)
台湾女性も標識には手こずっていると話していた。
更には、明らかに標識にミスがあるケースも遍路旅で数回あった。

次に紹介するのは標識ミスかどうか?
松尾峠への登り道で見かけた「山頂まで何メートル」という標識。
正しくは「峠まで何メートル」だと思う。
峠と山頂が同じということはある?
不思議に思いながら松尾峠に到着すると
「ここは松尾峠頂上」とあった。

松尾峠を越えて3時間半後に40番観自在寺に到着。
36番青龍寺以降、次に向かう41番龍光寺までが寺と寺の距離が離れた区間が続く。
観自在寺を打ち本日の寝床・須ノ川公園キャンプ場までもまた長い。
須ノ川公園に近づくと車用トンネルと別に歩行者自転車専用トンネルが現われた。
長く歩き続けていると変化がほしくなり、トンネル内で即興の替え歌を歌う。

真っ白なトンネルを
ながめては飽きもせず
かといって触れもせず
そんなふうに僕のまわりで
トンネルを涼風が
吹き抜ける
(小椋佳作詞作曲・白い一日の替え歌)


出発後間もなく高台から宿毛市内を望む


逆打ち遍路者は間違え後に正しい道に戻った


(松尾峠)山頂まで400m?


松尾峠の山頂


松尾峠は広い休憩所


国道56号は割と空いてる道


観自在寺に向かう途中にあった自在園。
花文字でも自在園


観自在寺に到着


須ノ川公園に向かう途中の漁港。
赤・青コントラスト屋根の彼方に風車


歩行者自転車用の白いトンネル内に壁画。
飽きもせず眺め、触れもせず


須ノ川公園にテント設営。
17:00受付終了にギリギリ間に合う

07時20分 ホテルを出発
09時15分 松尾峠(高知・愛媛県境)
12時40分 観自在寺に到着
17時00分 須ノ川公園キャンプ場に着

歩行時間 8時間20分
歩行距離 37km

| 四国遍路旅 | 12:00 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

≫ EDIT

5月26日(木) 18日目 39番延光寺

天気 雨

今日で高知の寺打ちは最後。
明日からは愛媛の寺打ちになる。
高知は「修行の道場」と呼ばれる。
ちなみに、徳島、愛媛、香川は其々、発心、菩提、涅槃の道場と呼ばれる。
今日の私は高知での修行の総仕上げを行うことになった。

今日も昨日に引き続き雨の一日。
昨日は朝から雨が強かったが、今日の朝の出発時は霧雨程度。
昨夜から雨が弱まり、今日は徐々に天気が良くなる様に感じた。

出発早々古くからある遍路道と新しい道の分岐点に出会った。
古くからの遍路道は月山神社を経由するルートで、新しい道は国道321ルート。
新しい道のほうが距離が短く楽に行けるように思われる。
しかし遍路道でも距離に大差はないように思われ、遍路道に呼び込もうとする多数の標識に誘導されるように私は遍路道の方を選んだ。
この遍路道がなかなか手強かった。

遍路道を進み間も無くすると登山道のような遍路道になり登り下りを繰り返す。
分岐地点から約1時間ほどで月山神社に着いた。月山神社参拝後もアップダウンのある登山遍路道が続く。
この道には地元の小学生が作った多数の励ましメッセージ標識があり、徐々に体力を消耗する中、心を癒してくれる。

徐々に雨脚が強まり道に堆積した落ち葉が濡れ、それに足を滑らせ今旅行中初めて転倒した。
登山遍路道が終わると赤泊の浜という海岸沿いに出た。濡れた多数のゴロゴロ石の中を進む際に2度目の転倒。
更に海岸沿いに出る直前にあった標識に惑わされ、砂浜と石コロだらけの海辺に標識は見当たらず進む道が分からない。
道迷いしながらも何とかスマホの地図アプリを頼りに進むべき道を見つけた。
最終的に国道321号ルートの道と合流したのが分岐地点から3時間後。距離的には約1.5倍、時間的には2倍以上要したと思う。

雨脚はますます強まり道脇は川の様に雨水が流れ、もはや全身ずぶ濡れで靴の中に水が入るのも構わず水溜りを進む。
昨日と同様、昼頃に道の駅に到着。
軽食休憩していると多少雨脚が弱まる。
昨日と同様、靴を脱ぎ足が水フヤケしない様に靴下の水を絞る。
休憩を終え出発しようとしたらまた雨脚が強まってきた。構わず出発すると靴の中は直ぐに雨水でズボズボ。

それでも13時過ぎから徐々に雨脚は弱まる。
すると今度は足先に若干痛みを感じてきた。何となくマメが出来たのが破れた様な感じ。チョット歩きにくい。
確か般若心経では「痛み苦しみは全て幻想」と教えていたような…
足の痛みも幻想と思うようにしたら徐々に痛みも気にならなくなった。

しかし39番延光寺まで長い。
最初のルート選択の影響が祟り、延光寺に到着したのは16時を過ぎた。
何とか延光寺を打ち、ホッとして本日の宿に向かう途中、今日の宿は素泊まりなので何処かで食料を調達と思っていたらお遍路さん歓迎の新鮮市場の看板。
フラフラ立ち寄り物色していたら、夕方からのタイムセールが始まり弁当類が半額に。これは買うしかないと晩と朝用に弁当2個とトマトときゅうり、締めて785円分を購入。

ラッキーだったと思ったのも束の間。
購入したレジ袋の重さ約2kgを抱えて宿のホテルまで約7kmの道のりが残っていた。
長い道のりを「この道はきっと幻想だ」と思いつつ歩いた。
買い物後、宿に到着までの1時間半が高知での最後の修行となった。
本日の歩き遍路さんとの出会いは1人。


霧雨の小才角休憩所を出発


遍路道と国道の分岐にあった標識


遍路道に入るとカニがお出迎え


子供達の励ましの標識


月山神社で参拝


赤泊の浜の手前で戸惑った標識。
400m先にあるのは?


石コロだらけの赤泊の浜を進む


道迷いした時に助けられたスマホのアプリ
点線で示された本来の道から外れたのが分かる


昼休憩した道の駅大月


延光寺に向かう最後の遍路泥道


やっと着いた延光寺


買い物に立ち寄った新鮮市場


やっと着いた今日の宿アバン宿毛

05時50分 小才角休憩所を出発
16時10分 39番延光寺に着
18時20分 ホテルアバン宿毛に着

歩行時間 11時間00分
歩行距離 48km

| 四国遍路旅 | 04:59 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

≫ EDIT

5月25日(水) 17日目 39番延光寺への移動日

天気 雨

今日は一昨日に引き続き約40kmの移動だけの日。
一日中雨が降り続いた。
特に昼頃にかけて雨脚が強まる時間帯が多く、午前中には防水レインウェア、防水靴、レインカバーをかけたザックのいずれも防水が機能せず、内部まで水浸しとなった。

ザックの方は室戸岬到達の日に一度内部浸水を経験していたので、朝の出発時に寝袋カバーやレジ袋を利用し2重3重に防水したつもりだったが、それでも浸水を完全に防ぎきれなかった。
レインウェアの下のズボンのポケットには不用意に紙類を入れていたが完全に濡れてボロボロになった。紙幣でなくて良かった。
靴内部も靴下がはっきり濡れているのが分かる状態になった。
昼食休憩に立ち寄った道の駅で靴を脱いで靴下を絞ると体温で温められた生温い水が滴り落ちた。
室戸岬の雨の時はここまで酷い状態にはならなかった。雨脚の強さと降水時間の長さが影響したのだろう。

歩きながら靴の中が濡れる理由を考えてみた。
歩く時には後ろから前に足を運ぶ際、靴の指先と靴の甲の部分に特に大きな圧力がかかる。
この時靴にまとわりついた水分が靴にかかった圧力の影響で外部から内部に少しずつ染み込んでいくのではないか。
防水機能の表示で耐水圧という数値があるが、あくまで製品を静止した状態で計った数値だと思う。身体を動かすことで製品にかかる圧力は考慮されていないと思う。
レインウェアの耐水圧が台風並みの暴風雨に耐えるというのもじっと立っているだけの状態での数値なのだろう。
実際にレインウェアでも、上着の方に比べズボンの方の浸水度合いが大きいのは、足を動かす動作がレインウェアに圧力を加えレインウェア表面にあった水分を少しずつ内部に染み込ませているのだろう。

靴の甲にかかる圧力は今まであまり意識したことがなかった。
今日の雨での浸水や、足の甲の痛みの経験から、靴の甲は意外に圧力の高い要注意ポイントだと思った。
毎日重労働に耐えてくれている足をもっと労わらないと。

雨が続く中カメラやスマホも極力濡らさないよう、雨脚が弱い時に使うようにして、ひたすら我慢の歩行を続け、雨のことを考え続けた一日だった。

今日出会ったお遍路さんはたった一人。
逆打ち遍路さんで、トンネルですれ違い時に会釈を交わしたのみ。
トンネルに入った時だけは雨を避けることができ、トンネルのありがたさを噛み締めた一日。


ホテルから眺める朝の足摺


雨脚が強い中をひたすら歩く


アコウの木?前を通過。
昨日の地元テレビでアコウの木は台風に負けないため根が異常に発達したと言っていた


国重要文化財吉福家住宅?前を通過


松尾トンネルでホッと一息


土佐清水市街地が見えてきた


昼食に立ち寄った道の駅めじかの里
土佐清水


雨で人影のまばらな竜串海岸。
夫婦からカメラ撮影を依頼された


竜串海岸の大竹小竹


口を開けたエイリアンの様な竜串の浸食岩


本日唯一のお遍路さんとのすれ違い


本日の野宿地、大月町小才角の休憩所

07時20分 ホテル椿荘を出発
12時10分 道の駅めじかの里で休憩
17時10分 小才角の休憩所に着

歩行時間 8時間40分
歩行距離40km

| 四国遍路旅 | 10:52 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

≫ EDIT

5月24日(火) 16日目 38番金剛福寺

天気 晴れのち薄曇り

今日は最初から足が重く感じられ、足を引きずるようにして歩く足摺岬の金剛福寺への道となった。
昨日多めの距離を歩き頑張り過ぎたか、朝食量が少なくエネルギー不足だったか、飲用不可のトイレ内の手洗い水を飲んでしまったためか原因は分からない。

今日は約5人の逆打ち遍路さんとすれ違い、私以上に足が重そうに歩いていた2人の順打ち遍路さんを追い抜いた。
岡田さんとは出会わなかった。

5日ほど前から足の甲に痛みを感じ、原因をアレコレ考えながら歩いていた。
年々歳をとり骨が弱ると疲労骨折などもあり得ると思ったが、今回はどうもそうではないようだ。
2年前からの日本百名山や昨年のみちのく潮風トレイルに挑戦した時、足の爪先を傷め内出血させていた。
足の爪先が靴の内側にあたることを長時間繰り返すことで生じたものと原因を推測して、靴内部の足先の動きを最小にする為に靴紐をキツく結び足首の動きを抑える方法などをとるようにした。その後日本百名山の後半の旅行では成果があったと感じていた。

しかし今回足の甲に痛みを感じ、もしかしたら靴紐の締め付けが原因ではないかと疑い靴紐を少し緩めにしてみたら、足の甲の痛みが和らいできたように感じられる。一方で久しぶりに足の爪先に多少痛みを感じ出した。
まだ断定は出来ないが、靴紐の締め付け方ひとつで足先に痛みを感じたり足の甲に痛みを感じたりすることがあり得るのかもしれない。
現在は足首部分の靴紐はキツく、足の甲部分の靴紐はユルめに結ぶことを試している。

今日の宿泊は当初金剛福寺の宿坊を予定していたが、2日前に電話予約をすると宿泊できないと言われた。
5人以上の団体宿泊がある日以外は個人の宿泊者は断わっているらしく、23日か25日は団体が入っているので宿泊できるが24日は団体予約がないため個人の宿泊は受け入れないとの事。
今は宿坊も経営が厳しいようで、旅行計画を立てる際に少し調べたら20年位で半数以上の寺が宿坊営業を廃止しており、今も年々宿坊が廃止されている。
急遽ネットで探し当てたホテルの今日の宿泊者は私1人だけ。相当年季の入った施設だったが料理は新鮮な海の幸満載で食べきれない量の料理だった。


足摺岬への道からの眺望1


足摺岬への道からの眺望2


海岸沿いに続く遍路道を進む


足摺岬への道からの眺望3


途中にあった遍路小屋兼善根宿。
職業遍路者を除く歩き遍路者は無料宿泊できる


足を引きずり達した足摺岬


足摺岬にあるジョン万次郎像。高知ではNHK大河ドラマ化を目指し頑張っているらしい


長い道のり後にやっと38番金剛福寺

05時50分 市野瀬休憩所を出発
13時40分 38番金剛福寺に到着
14時40分 ホテル椿荘に到着

歩行時間 7時間20分
歩行距離 32キロ

| 四国遍路旅 | 02:42 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

≫ EDIT

5月23日(月) 15日目 38番金剛福寺への移動日

天気 晴

今日は寺参拝は無く、38番金剛福寺へ向かい歩き続ける日。
快晴で暑い一日だったが、歩行コースは見どころが多く楽しかった。

最初は、熊井トンネル。
明治38年完成したトンネル。
当時の小学生がレンガ1個1銭の運び賃で運んだという。昔は小学生も安い労働力だった。
次は、道路と線路が並行して走るコース。
普通は道路と線路が並行していたら、事故防止用に柵があったり段差があったりすると思うが、ここは柵もなく道路と線路がとても近い。
熊井トンネルと線路脇を通る道は、昔の面影が良く残る遍路道。

次は、土佐西南大規模公園。
公園は大きく複数の箇所に分かれていて私が通ったのは2箇所。
佐賀公園駅前後の箇所と「道の駅ビオスおおがた」から始まる箇所。
公園は圧倒される広さで、海沿いの絶景や広い松林の中を木陰の涼しさを感じて歩くことができた。

次は、広大な田園風景の中に真っ直ぐ伸びた一本道の歩行。
とても気持ち良く歩行できたが、徐々に歩いても歩いても前に進まないような感覚になった。
そして四万十川と川に架かる大橋。
日本一の清流四万十川のゆったりした川の流れを見ながら長い橋を渡った。

最後は全長1620mの伊豆田トンネル。
暑かった一日の締めくくりは、トンネル内の涼しい風が吹き抜ける中の歩行で、割と広い側道が設けられているため安心して歩けた。(排気ガスさえなければ最高!)

今日は15日間の歩行で最もお遍路さんとの出会いが少ない日だった。ルートが複数あるためだろう。
逆打ちさんとのすれ違いが2人。順打ちさんとの出会いが1人。
「2日あることは3日ある」ということで、出会ったのは3日連続で岡田さん。
道の駅ビオスおおがたで先着して休憩していた岡田さんに出会った。
互いに3日連続の出会いを半分驚き半分予期していた。
岡田さんからは缶コーヒーをお接待?してもらった。私は体質的にコーヒーを苦手にしているのだが、この日ばかりは素直に頂戴し、渇いた喉に水分を沁み渡らせた。
また岡田さんから納札を頂き、私も返礼した。私の納め札は白色で岡田さんのは緑色。5回以上遍路している人は、白色から緑色の納札に格上げになる。
緑色の札には白色の札にはない「願意」の記入欄があった。
そこには「母の御救」と記載されていた。
92歳になる母は不治の病のため、何とか残りの日々を穏やかに送ってほしいという岡田さんの切実な願いが込められていた。満願を祈るのみ。


近代土木遺産の熊井トンネル


道路と並行して走る線路


土佐西南大規模公園からの絶景


岡田さんと出会った道の駅ビオスおおがた


土佐西南大規模公園内の爽快道路


土佐西南大規模公園内の松林


広大な田園風景の中の一本道道路


四万十川に架かる四万十大橋


伊豆田トンネル

06時00分 土佐佐賀温泉を出発
17時20分 市野瀬休憩所(ドライブイン水車)に着

歩行時間 9時間50分
歩行距離 47km

| 四国遍路旅 | 08:10 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

≫ EDIT

5月22日(日) 14日目 37番岩本寺

天気 晴(一時薄曇り)

今日は昨日までに比べて風が吹いており少し暑さも和らいだ感じがする。
野宿した土佐久礼の海岸を出発後間も無くすると「遍路道通行止」の看板。
ビックリしていると、偶々地元の人が通りかかり「37番に行くのならこっちの道を歩いていけばいいよ。」と迂回路を教えてくれた。
今旅中に何度も地元の人に道を教えてもらっている。こちらが立ち止まりキョロキョロしていると相手から声掛けしてくれる。完全にお遍路文化として困っていそうな人にすぐ気軽に声掛けするのもお接待の一種だと思う。

国道56号を進むと登り坂で一休みしている70歳代の自転車旅人と出会った。
9年前にここの七子峠を一度通っていて無理をしたら膝を傷めたそうだ。
それからは無理をせず自転車の旅を続けているということで、一度は挫折しても続ける勇気が素晴らしい。

出発後5時間半ほどで岩本寺に到着。
一足違いで団体のツアー遍路客が先に着いていた。
納経所にはもう行列ができていた。
諦めて軽い昼食を取り今後の宿手配などしていたら1時間半も休んでしまった。
納経所では、昨日出会った長身大股男性と再会。岡田さんと言うそうだ。今日の予定を確認したら土佐佐賀温泉までということで私と同じ。昨日も同じ土佐久礼までで歩くペースがだいたい同じくらいだ。ただし岡田さんの方は宿泊り。

土佐佐賀温泉に到着したら野宿の先客がいた。今遍路中初のテント同宿。
70歳代と思われる男性で10回は遍路しているそうで、もっぱら野宿とのこと。
今回は45番岩屋寺から逆打ちしている。10回も遍路していると、お金の節約も大切なことで、宿代はもちろん食費も安いパンで済ますことがしばしばらしい。
互いに別方向に向かうので、また香川県あたりで再会するかもしれない。


突然現れた遍路道通行止め標識


地元の方が道案内して立ち去った。感謝


一休み中の自転車旅行者


七子峠までの途中で高速道を眺望


七子峠までは緩い登りが6kmほど続いた


雪椿休憩所には雪とお坊さん夫婦にちなむ樹齢350年のヤブ椿がある


37番岩本寺ではツアー客が先着


野宿した土佐佐賀温泉

06時50分 土佐久礼の海岸を出発
08時40分 七子峠
12時25分 37番石本寺に着(1時間半休憩)
17時10分 土佐佐賀温泉こぶしの里に着

歩行時間 7時間20分
歩行距離 34km

| 四国遍路旅 | 05:45 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

≫ EDIT

5月21日(土) 13日目 37番岩本寺への移動日

天気 晴

今回の遍路旅で初めて寺打ちがなく移動だけの日。
ここ数日晴天が続き、顔と手だけが日焼けして真っ黒。
気温は25度前後、毎日結構汗をかいている。
少しでも日陰が恋しくて、山の中では木陰側、住宅街では日陰側へと左右移動を繰り返す。
一番嬉しいのはトンネル。
今日の移動ではトンネルの通過が4回あった。

トンネルについては、3年前の自転車旅行の時にとても怖い思いをしたことがあった。
トラックの風圧でトンネル内で転倒。
一歩間違えたら命はなかった。
自転車では怖い思いをしたが、今回のお遍路や去年の徒歩旅行では特に恐怖を感じない。
むしろ今日のような暑い日はトンネル内のエアコンのような冷風が恋しい。

今日は、移動のほぼ中間地点にあった遍路休憩所で3人のお遍路さんと出会い。
一人は60歳代の長身男性。2人は40~50歳ぐらいのご夫婦。ご夫婦の方は、仕事休みの週末に区切り打ちしている。
(区切り打ちとは、区切った区間を歩くことを繰り返して88か所遍路の達成を目指すこと)
60代男性は大阪の人で、今回が5回目の遍路。
今でも、道間違えする時があるという。

30分ほど休憩して出発。
私が先に発ったが間も無く男性に先を越される。
私は小股歩きで男性は長身大股歩き。
しばらくすると、男性は遍路道とは別の方向へ進んだ。
最初は間違えたのかと思ったが、地図を見ると、トンネルを通る近道を選んだようだ。
遍路道では、トンネルを通らず回り道をすることがしばしばある。
ここでは私はトンネルを通らず回り道したが、その後に峠越えのルートとトンネルを通るルートの分岐地点に差し掛かった。峠を越える疲労とトンネルを通り涼しく楽出来ることを天秤にかけた結果、当然のようにトンネルを選んだ。


国民宿舎土佐出発後は絶景の道


武市半平太の像があった


途中休憩した遍路小屋


長身男性は大股歩き


遍路道とトンネル道の分岐地点。
遍路道の方は道の状態が悪いようだ。
いずれにしても今日はトンネルの涼を求めた


全長960mのトンネルを通過


今日の宿泊地、土佐久礼の市場


地元出身の漫画家「土佐の一本釣り」作者青柳祐介像と鰹節のオブジェ

07時40分 国民宿舎土佐を出発
16時30分 土佐久礼海岸に着

歩行時間 7時間40分
歩行距離 37km

| 四国遍路旅 | 05:34 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

≫ EDIT

5月20日(金) 12日目 33番雪蹊寺~36番青龍寺

天気 晴

今日は33番から36番まで4寺を打つ計画を立てて4番目の寺を打つ予定時刻が15時30分で、割と余裕がある予定だった。
ところが出発で30分遅れた上に桂浜に架かる浦戸大橋を渡るためテント設営場所から大分遠回りすることになり更に20分ほど時間ロスして、最初の寺到着時点で予定より50分遅れてしまった。

その後少しペースが上がり、時間はまだ大丈夫だろうと判断してコンビニとスーパーで約30分ほど買い物をした。
3番目の寺到着時点で予定より40分遅れ。
当初の移動距離から算出した歩行時間どおり進むことができれば、寺の納経所受付終了時刻17時の40分前には着けそうだ。

ところが移動終盤に待ち構えていた塚地峠越えの時点で体力を相当消耗していてペースが上がらない。
徐々に時間との競争になってきた。
やっと塚地峠を越えても休憩をとらず先を急ぐ。
時々青龍寺まであと何キロと標識が見えると、まだそんなにあるのかと焦ってくる。
何とか受付終了時刻の15分前に着くことができたが、今旅行中で一番焦った。

更に今日は久しぶりに体調不良だった。
出発早々右足の甲に痛みを感じて、足の皮が剥けたかと思い靴下を脱いで確認したが異常はなく、疲労からくる痛みと考え少しペースを落とした。
今まで体調面では大きな問題は発生しておらず、5日目頃に大腿部の付け根に少し痛みを感じたことがあるくらいだった。
今日の歩行が予定より遅れた原因の一つは足の痛みによることもある。
お遍路旅行は、納経所の受付終了時刻(大抵は17時)が一つのハードルになっていて、それに間に合わないと次の日以降の予定が狂うため、結構必死で歩いている人を見かける。
今日は私がその役割を演じてしまった。


浦戸大橋を越える。この時足が痛くなる


最初の雪蹊寺。冬の雪蹊とは関係なし


次の種間寺ではツアー遍路さんと出会う


高知市と土佐市の境界に架かる仁淀川大橋


土佐市入り


清瀧寺から市街地を眺める。今日の寺は近くの小学校の遠足で50人ほど賑わい


青龍寺へは用水路沿いを進む。道探しに苦労していると近所の人が助けてくれた


塚地峠。一服後、峠越えスタート!


峠を越えて現れた水場でまた一服


宇佐大橋を渡る


ギリギリセーフで着いた青龍寺

06時30分 種崎千松公園を発
07時45分 33番雪蹊寺に着
09時20分 34番種間寺に着
12時20分 35番清瀧寺に着
16時45分 36番青龍寺に着
17時10分 国民宿舎土佐に着

歩行時間 9時間10分
歩行距離 40キロ

| 四国遍路旅 | 02:54 | comments:2 | trackbacks:0 | TOP↑

≫ EDIT

5月19日(木) 11日目 28番大日寺~32番禅師峰寺

天気 晴

今日は印象的な出会いが3度あった。
1人目
朝7時頃に歩いていると車の中の女性がにっこり微笑んでこちらのほうに挨拶をした。記憶がない女性だった。
歩き遍路をしていると、見ず知らずの人から「お疲れさま」とか「頑張って」など声掛けをされる。
一度、農作業で草刈り機を運転している人のそばを通過した時は、草刈り機の運転を止めていただいたことがあった。
そんなに接近している訳ではなく、草刈りの粉塵がかかる心配もなく音もさほど大きくないが、草刈りの男性は黙って私が通り過ぎるまで草刈り機を止めて、通り過ぎてから運転を再開した。
チョット驚き、恐縮した。
意外な形で、労われたのかしら?
今回の女性も、もしかして?

2人目
29番国分寺から30番善楽寺に向かっている時、一人旅お遍路さんの若い女性に出会った。
台湾出身の25歳とのこと。
日本語は結構うまく話はほぼ通じる。
オフィスワークで一日中椅子に座り仕事をすることから解放されたくて旅に出た。
日本に行きたいと思っていたが、東京や京都や大阪など有名な所よりあまり知られていない所に行きたくてこの四国のお遍路に挑戦した。
計画では60日間をかけて88カ所全てを歩き遍路で通す予定。今日で16日目。
外国の若い女性が1人で、それも歩き遍路に挑戦するなんて大アドベンチャー。
きっと人生の中で、大きな財産になると思う。
どうぞ最後までやり遂げて充実した旅にしてほしい。

3人目
竹林寺にて
竹林寺は山頂近くまで登ってくると植物園に出くわす。
遍路道はその植物園の中を通過するのだが植物園の通路と遍路道が一緒になっていてちょっと戸惑ってしまう。
「だいたい四国88か所」の著者も書いていたが植物園の中で道に迷った。
遍路道標識を信じ違う方向に進もうとしたら、たまたま近くを通りかかった男性が竹林寺に行くならその道ではなくこっちの道ですよと教えてくれた。
その男性から声掛けされなかったら、植物園の来園者が大勢いる中で、まるで別世界で迷子になってしまうところだった。

今日は28番から32番まで5寺を打つ計画を立てていたが、5番目の寺を打つ予定時刻が16時30分で納経所の受付終了時刻17時まで30分しか余裕がない。
このため、朝も早めに出発して、道に迷わないように用心して歩いた。
善楽寺への道では台湾人女性と1時間ほど一緒に歩き、竹林寺では道迷いしかけたが、何とか、ほぼ予定通りの時間で5つの寺を打ち終えてホッとした。


無人島でサバイバルした長平という人の石碑があった


大日寺への道で印象的な挨拶を受けた


自転車で寺周り遍路している人。自転車なので私より移動は早いが、寺の写生をしているため、この後の寺毎に出会った。


のどかな田んぼのあぜ道の遍路道


台湾人女性のお遍路さん


竹林寺への道と植物園の道は混在?


竹林寺は五重塔もある立派な寺


最後の禅師峰寺からの眺め


野宿地の種崎千松公園は公認のテント地

05時50分 道の駅やす(海岸)を出発
07時50分 28番大日寺に到着
10時00分 29番国分寺に到着
12時10分 30番善楽寺に到着
14時30分 31番竹林寺に到着
16時20分 32番禅師峰寺に到着
18時10分 種崎千松公園に到着

歩行時間 10時間40分
歩行距離 48km

| 四国遍路旅 | 02:51 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

≫ EDIT

5月18日(水) 10日目 27番神峯寺

天気 晴

昨夜泊まった二十三士公園は幕末の志士武市半平太の元に集い、最終的に藩の命令に従わなかったとして処刑された23人の志士達の処刑場だった所である。
公園の近くの寺には二十三士の墓があった。
いわく付きの公園ではあるが昨夜はぐっすり眠ることができた。

今日は、神峯寺に向かう途中の田んぼと土手の間で鹿を見た。
その鹿は田んぼから約1mの高さの土手に一生懸命登ろうとしているように最初は見えた。
しかし写真を撮りながらよく観察しているとどうやら鹿の首に紐がかかりその紐を外すためもがいているらしかった。
もがいているのは大人になる前の鹿で、かわいそうに思い助ける方法はないかと考えた。

田んぼの中に入るか?土手側の藪草に入り引き上げるか?縄を切るか?
待てよ、ここは他人の土地だから不法浸入になる?
だいたい、何故あんな所に紐があり、鹿が絡まってしまったのだ?
待てよ、もしかしたらこの辺りでは鹿の食害の被害の可能性もあるかな?
見渡すと、田んぼや畑の周りにはネットが張られている。
下手に手出しはできないと決めた。
ということを結構時間をかけて考えた。

しかしよりによって神の峯の寺に行く途中何の因果でこんな場面に遭遇したのだ?
鹿は誰かが助けない限り命を落とすだろうし、それが運命で止むを得ないと思う。
昔手塚治虫の「ブッダ」という漫画で動物が他の動物のため自らの命を犠牲にする話があった記憶がある。
輪廻転生の世界を表現していたように思うが、神は全ての生き物を平等に扱う一方で、人間は見にくい争いを繰り返し私利私欲に明け暮れていることを皮肉っていたような記憶がある。(違っていたらスミマセン)
現代の社会は、地域や国内、国家や人種間、世代間、人間と他の動物との間など、全て不平等で格差だらけ。
天才空海なら現代のような社会をどう思うのだろう?
あるいはブッダなら良い道を示してくれるのだろうか。
我が家(浄土真宗)の教祖・親鸞ならば、人間の業を一緒になって悩み受け止めてくれるのではないか。

今日の神峯寺は結構標高のある山の頂上にある寺で、登り甲斐があり少しバテた。
神峯寺を打った後、目的地の道の駅やすまでは、日陰が少ない直射日光のあたる長~いロードをただひたすら歩いた。
今日もお遍路さんとの出会いは数人と挨拶をした程度だった。


二十三士が眠る墓所


神峯寺に向かう道


田んぼと土手の間でもがいていた鹿


頑張って脱出しようとしていたが…


神峯寺への遍路道にあった変な石仏?


水を飲んで最後の石段を登れば本堂


神峯寺の本堂


次への移動中にあった空海が修業した岩屋洞


途中休憩所での好展望


琴ヶ浜の松原の自転車ロードが遍路道


本日の寝所は道の駅やすの砂浜

06時30分 二十三士公園を出発
09時00分 神峯寺に着
16時50分 道の駅やすに着

歩行時間 9時間20分
歩行距離 42km

| 四国遍路旅 | 21:54 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

≫ EDIT

5月17日(火) 9日目 25番津照寺~26番金剛頂寺

天気 曇りのち晴れ

昨日から今日は道で歩き遍路とあまり出会わなかった。
代わりに寺で団体遍路に出会った。
金剛頂寺で遍路ツアー2組と遭遇した。
私が寺での納経を終えて納経所に行くとお坊さんが1人で団体の大量の納経帳にスタンプを押していた。
待つこと5分ほどでやっと納経帳に記帳していただいた。

今日は2回も道間違えをしてしまった。
1度目は津照寺。
寺の標識を見落として通り過ぎ5分ほどで進み過ぎに気付き引き返した。
2度目は金剛頂寺。
寺への登り道で車道から遍路道への分岐点を見落とし車道をそのまま進んだ。
10分ほどの時間ロス。

道間違えではなく敢えて遍路道を進まなかった場所もある。
奈半利町に入り行き先を地図で確認すると国道55号から山側へ登っていく方向に遍路道が向かっている。
どう見ても国道55号を進んだ方が景色は良いし平坦で楽に思えたのでそのまま国道55号を進む。
羽根岬など海岸沿いの景色はとても良く正規の遍路道を通らずよかった。
山側に遍路道が設定されているのは、そちらが昔から人々の使った道だからだろう。
ということは海岸沿いは昔断崖か何かで通れなかったのを人々が岩や砂利を敷き詰めて苦労して通行できるようにしていったということだろう。
今は綺麗に整備されていて、昔の人々の苦労を垣間見るのは難しい。

今日通ってきた場所には国の重要伝統的建造物群に指定された地域があった。
昔の街並みを大切に守り続けてきた地域でとても趣きがあってよかった。
一方で一部には後を継ぐ人がいなくなって廃墟となった古い建物もあった。
昨日から室戸市に入り感じたのは、廃墟となった建物が目立つことだ。
遍路道や伝統的建造物のように人々が地道に努力して守る歴史がある一方で、人口減少など解決の困難な課題が町の死活問題になっていることをまざまざと感じさせられた。


最御崎寺の下山道路から眺めるパノラマ


昭和9年にあった風水害を伝える石碑


金剛頂寺ではお遍路ツアー団体と遭遇


金剛頂寺の下山道路からもパノラマ


遍路道は南国景色


室戸市吉良川町の伝統的建造物群


海岸沿いに散らばる岩礁が印象的な羽根岬


本日の寝所「二十三士公園」
(中央奥に見えるマイテント)

08時00分 最御崎寺を出発
09時40分 津照寺に着
11時00分 金剛頂寺に着
17時10分 二十三士公園に着

歩行時間8時間00分
歩行距離 36km

| 四国遍路旅 | 21:28 | comments:1 | trackbacks:0 | TOP↑

≫ EDIT

5月16日(月) 8日目 24番最御崎寺

天気 雨時々強風、昼過ぎから曇り

天気予報では午後になるほど大雨、強風の見込み。
今日は悪天候対策と昨日の遅れ挽回のため朝5時前に出発。

3年前に自転車旅行で通過した国道55号を前回とは逆向きに進む。
土佐浜街道のアップダウンのない海岸沿いの道を雨と強風に苦労して進むのは前回も今回も同じ。
前回自転車旅行の時は向い風が強すぎ自転車が前に進まなかった。
今回は時々雨が強まったり風が強まったりしたが、自転車の時ほど前進に苦労はしない。しかし一時的に雨脚が強まると雨合羽や靴の中に水が染み込むように感じられる。

午前10時頃ほぼ中間地点まで来ることが出来て、休憩所でホッと一息し軽食補給をしていると30番善楽寺から逆打ちの区切り打ちしているお遍路さんと出会った。人それぞれ、色々なお遍路スタイルで旅していると改めて感じた。

室戸の海岸線沿いを海の波を見ながら進む。波は一つとして同じ姿形にならず見ていて飽きない。
海は、溺れたり、船を沈めたり、津波などで多くの人の命を奪う。一方で多くの海産物の恵みを提供し、沢山の生き物を育んできた。
海は生命そのものだ。
もしかしたら若き日の空海もこの地で修行しながら、海と命のことに思いを馳せたのかしら?

午後からは風雨も収まり、予想より早く最御崎寺に到着。
最御崎寺の宿坊(遍路センター)の夕食時には、70歳代で一人旅の女性お遍路さんとおしゃべり。
最初は3人で11日に6番安楽寺からスタートしたが体調を崩して2人とも脱落。
歩き遍路を基本にしつつ交通機関も利用している。
脱落した2人からは行動予定のアドバイスを毎日受けていて、時間がかかっても何とか全部回りたいらしい。
結構旅慣れはしているらしく、アクシデントにめげず最後まで頑張ってほしい。


雨の宍喰大橋を渡る


高知県に入る


室戸市に入る


ほぼ中間地点の休憩所で休憩していると逆打ち遍路さんと出会った


夫婦岩を通過


弘法大師像前を通過


弘法大師空海が修行した場所?


最御崎寺にようやく到着

04時50分 道の駅宍喰を出発
15時10分 最御崎寺に到着

歩行時間 10時間00分
歩行距離 45km

| 四国遍路旅 | 20:23 | comments:1 | trackbacks:0 | TOP↑

≫ EDIT

5月15日(日) 7日目 23番薬王寺

天気 曇り、夕方から雨

今日は23番薬王寺を打ち、その後24番最御崎寺に向かう長~いロードに突入する。

薬王寺は海沿いの入り江から少し高台にあるため見晴らしが良い。
司馬遼太郎の名著「空海の風景」の中でも紹介(未読)されている。

薬王寺から最御崎寺までは80km弱。
明日には着きたいので今日の頑張りが明日の苦労度に繋がる。
まずまず順調に進んでいたが、内妻大橋を過ぎた所でトンネル脇を通る遍路道が
現れた。
その遍路道を進むと結構な登り坂が続く。その後坂を下ると海岸沿いの砂浜に出る。この砂浜も岩や木が邪魔して歩きにくい。
30分位かかってトンネル出口からの道と合流した。トンネルを通れば多分5分ほどで通過できたと思う。
昔の遍路道の苦労と現代の技術の恩恵をしみじみ実感し、次からは先を急ぐためトンネルを使わせてもらおうと思う。

夕方から雨模様になり、当初は徳島から高知に入って白浜海岸のキャンプ地まで行く予定だったが、約3km手前の駅の駅宍喰で一夜を明かすことにした。
天気予報では夜半以降雨が続くため、産直販売所のおばさんに了解をもらって販売所裏手の軒下にテントを張らせてもらった。とても助かった。

今日はお遍路さんとの出会いは少なく、男性の一人旅お遍路さん2人と話した。

88番大窪寺から逆打ち中の男性との話。
間違いだらけの人生を振り返る旅。
去年の秋に初めて遍路に出た時は道間違えをよくしたが、半年後の今回の逆打ちでは去年の記憶がありスムーズにここまで来た。
ただ去年の順打ちの方が話し相手が多く
逆打ちは話し相手が少なく寂しい。

順打ち中の男性との話。
鯖大師(鯖瀬駅)の民宿から浅川駅まで歩いてきた。
今日予定した鯖瀬に早く到着したので明日歩く予定分の一部を今日のうちに済ませて、明日は電車でその分を進んでから始める。
偶々私が前を歩いていたので後を追って歩いて来た。


奇勝えびす洞 (岩の真ん中に洞)


薬王寺


薬王寺から市街地を眺望


日和佐トンネル690m。長い


水のある休憩所で一服


自転車旅行する外人を発見。荷物の量!


内妻大橋後トンネル脇遍路道を進む


海岸沿いの遍路道


道の駅宍喰温泉


産直販売所裏手にテントを張る

06時30分 恵比寿浜キャンプ村を出発
07時30分 23番薬王寺に着
17時10分 道の駅宍喰温泉に着

歩行時間 9時間20分
歩行距離 43km

| 四国遍路旅 | 12:18 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

≫ EDIT

5月14日(土) 6日目 21番太龍寺~22番平等寺

天気 晴

朝から快晴。
今日は21番太龍寺に向かう。
昨日鶴林寺に登山してから大井小に一旦下山し太龍寺にまた登山するようで、何となくテント泊縦走のウキウキ気分。

大井小学校跡地から太龍寺へはまた登り道が続くが昨日の鶴林寺よりは少し楽。しかしやっと山門に着いたと思ったら、そこから本堂まで更に10分ほど登りが続いたのはキツかった。

太龍寺からは「かも道」と「いわや道」という道が続いており22番平等寺に向かうには「いわや道」と進むのだが、標識を見間違えてかも道を進んだ。
往復で約15分のロス。
いわや道側のロープウェイ乗降口脇にある道を通ると「お接待のお茶を提供しています」と声をかけられた。
太龍寺到着時に予定をオーバーした上に道迷いロス時間も重なっていたので、訳を話して丁重に辞退したら、平等寺までの道を間違えないよう、詳しく教えて頂いた。

太龍寺からの下山道はアップダウンや多少道端の狭い箇所もある山道が続き集落に着くまで2時間弱かかった。
集落に着いてホッと一息つき、後は平等寺まで一本道と思ったのが本日2度目の道間違えにつながる。
今度は曲がるべき所を見落として直進。往復3km約40分のロス。大ショック。
遅れを取り戻そうと地道に歩みを進めるが精神的に辛い。
すると平等寺の少し手前で地元の年配女性に呼び止められ、お茶、おにぎり、ゆで卵のお接待。
更にお土産まで頂いた。
本日二度目の精神的ショック後の思いやりの接待を頂く。

22番平等寺を打ち、明日に予定している23番薬王寺の手前までの移動が今日の予定。
今日は快晴で照りつける太陽の光が厳しい。水分補給が増えると共に疲労度も増してくる。
夕方に民家の前を通った時、たまたま玄関から顔を出した女性からバナナとお菓子のご接待を頂く。
本日3度目の苦しい時のお接待。
そして私の手にしている金剛杖を握らせてほしいと言われた。
こんな信心の薄い私の持つ杖など、という気持ちは脇に置き杖を差し出した。
杖は弘法大師空海の化身を表すらしく、遍路の旅は「同行二人」、つまり空海の化身の杖と自分の二人旅なのだそうだ。
杖は大切にしよう。


太龍寺への登り道


太龍寺は広かった!


「いわや道」から眺めるロープウェイ。
太龍寺へはロープウェイでも行ける!


太龍寺から集落に着き一安心したら落とし穴が待っていた


平等寺の手前でお接待を頂いた3婦人。
本当にパワーを頂きました


平等寺本堂から山門に繋がる紐。
本堂にいる空海の魂に繋がっている


暑さと疲労のため休憩所で水分補給


今日の野宿地にやっと到着

6時10分 大井小学校跡地を出発
7時50分 太竜寺に着
11時50分 お接待を頂く
12時20分 平等寺に着
17時40分 恵比寿浜キャンプ村に着

歩行時間 9時間30分(+ロス55分)
歩行距離 38km(+ロス3.5km)

≫ Read More

| 四国遍路旅 | 00:40 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

≫ EDIT

5月13日(金) 5日目 18番恩山寺~20番鶴林寺

天気 晴時々曇り

久々にベッドで眠れたおかげで、朝の出発から快調に歩みを進め、最初の18番恩山寺までは順調に時速約5kmの歩行速度で到着した。

この3日間同じ人と顔を合わせている。福島から来ており、歩き遍路を基本にしつつ偶には交通機関も利用しているようで、時々アレッと思うような場面で先回りしている。

遍路には様々なパターンがあるようで、キャンピングカーで旅して遍路する人もいるし、寺の駐車場にマイカーで来た後車内で遍路の羽織をひっかけ納経所に寄るだけみたいな人も見かけた。

荷物や持ち物も千差万別。マイカーやツアー組は、参拝時には荷物は持たない代わりに身だしなみは正にお遍路さんという人が殆ど。
一方でバイクや自転車のお遍路さんは服装にはほぼ無頓着。
歩き遍路の人は千差万別で、上下白のお遍路姿の人を始め自己流にアレンジした人や、私のように普通の服装にワンポイントだけお遍路要素を取り入れている人などなど。

歩き遍路で金剛杖を持っている人は半々ぐらい。
金剛杖の利点は、一目で遍路と認識してもらえることと、登山道で身体を支えるのに役立ち点。一方で欠点は舗装路の端を歩く時に格子目の側溝蓋の穴に杖の先がはまりバランスを崩すことがたまにあること。一度、変型した交差点を渡っている途中で交差点内にあった側溝蓋の穴に杖先がはまり立ち往生しそうになった。偶々自動車が来なかったから良かったが歩行者が突然交差点で立ち往生するのは事故に繋がりかねない。
金剛杖が不要に思えることも多いのだが、基本的にテント設営が認められていない公園などでテント泊する場合にテントに杖を立て掛けておけば、一目お遍路さんと分かり黙認してもらえる効果も期待でき、一長一短あり悩ましい。

また、歩き遍路の荷物に関しては軽量級と重量級に分けられ、全て宿に泊まる歩き遍路の人は軽量のリュック姿だが、私のように野宿もする場合はリュックが大きく銀マットを付属しているケースが多い。今日は、更に上をいくお遍路さんに出会い、大型リュックに手押車を引きずり歩くお遍路さんを見かけた。
とても重そうで正に荷物を運ぶこと自体が修行という印象。何をそんなに運ぶのだろうか?

今日三番目の寺鶴林寺への道は、正に整備された登山道。結構急な登りが1時間ほど続きやっと山頂の寺に着く。

鶴林寺参拝後は、次の寺に向かう途中にある大井小学校跡地が格好の野宿地。水とトイレがあり、地域のボランティアが清掃管理している。ただし、あくまで野宿地なので利用者は週に2~3組?(感想記録帳に記入された件数)


先ず最初に恩山寺


恩山寺から次に向かう道の竹林
義経の弦巻坂、弦張坂と言う坂を通る


途中の工事小屋の中でお接待を頂いた


遍路小屋で休憩する福島のお遍路さん


大型リュックに手押車のお遍路さん
沢山の荷物の中身は?


鶴林寺~太龍寺までは国史跡指定の遍路道


鶴林寺に向かう途中の絶景


鶴林寺の山門


私の遍路姿


重そうな荷を背負い鶴林寺に向かう人


野宿地の大井小学校跡地

7時20分 ホテルを出発
9時40分 18番恩山寺に着
11時10分 19番立江寺に着
15時30分 20番鶴林寺に着
16時40分 大井小学校跡地に着

歩行時間 8時間30分
歩行距離 34km

| 四国遍路旅 | 04:33 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

≫ EDIT

5月12日(木) 4日目 13番大日寺~17番井戸寺

天気 晴れ

朝から好天の1日となった。
明け方放射冷却のためテントの中は冷え込んだ。
今日は最初の寺までの移動に約4時間かかるが、その後は寺の移動時間は短い。

今日はお接待を受けた一日。
昨日まではお接待を受けることがなかった。
解説本で色々な場所でお接待の提供があることを知り身構えていたが、3日間何もなくて、最近お接待は少なくなったのかなと思っていた。

最初は13番大日寺に向かう道路脇に無人の水飲み場があった。
丁度喉が渇いていたのでありがたく頂いた。これもひとつのお接待かしら?

次に13番大日寺の納経所の前に「はっさく」を詰めた箱が置かれてあり「ご自由にどうぞ」と貼り紙があった。日差しが強い中とても有り難かった。

本日最後の17番井戸寺では、年配女性から手渡しのお接待。
最初は申し訳なさそうに「熱いコーヒーでもお接待しますが如何ですか」と声掛けされた。解説本ではお接待は断わってはいけないとあったため、「お任せします」と答えたら「たった今冷たいコーヒーがなくなってしまったの。もし其れ程欲しくないならお菓子でもどう?」と言われ、それではご馳走になりますとありがたく頂いた。
以下、女性から聞いた話。
50歳代半ばで身体が弱く仕事を辞めた。
その後身体を鍛えるためスポーツジムに通う。医者や家族などから猛反対されたがお遍路を始めた。
身体は徐々に丈夫になりお遍路も病み付きになっていった。
お遍路中にお接待を受けた暑い日のキュウリの有り難さに感激し自分もお接待を始めた。
お接待は気が向いた時に自宅から1~2時間の寺に出向き半日ほど行っている。
最近は歳もとったので、以前ほどお遍路には行ってないが、まだ元気なうちにもう一度88か所全部周りたい。
凄い女性だと思った。
若い頃から身体が弱かったらしいが、自分の意思で体質改善に努め、周囲の反対も押し切りお遍路も始め、更に時間をかけてお接待までしている。
自分の人生だから自分で決めようという強い意思が感じられた。
「勇気」というお接待も頂いた。
どうぞ、末永くお元気で頑張ってください。

本日最後の井戸寺を打ち終わり、今日は4日振りに布団で寝られる。


キャンプ場の朝、出発前


13番移動中の道端にて


道端にて水のお接待?


13番大日寺納経所前の「はっさく」


母、息子、娘?が、流暢に納経する


道端で遍路標識の補修作業をする人。
お陰様で無事旅できます。感謝


国分寺跡は県重要文化財


お接待を受けた井戸寺

6時10分 キャンプ場を出発
10時00分 13番大日寺
10時55分 14番常楽寺
11時30分 15番国分寺
12時30分 16番観音寺
13時20分 17番井戸寺
16時00分 徳島県庁前ホテルに到着

歩行時間 8時間00分
歩行距離 36km

| 四国遍路旅 | 05:30 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

≫ EDIT

5月11日(水) 11番藤井寺~12番焼山寺

天気 曇り後晴れ

朝方は曇り空のスタートだったが、焼山寺への道の途中から少しずつ好転した。

鴨の湯温泉を出発する時、お遍路熟練の方から話を聞いた。
昔は野宿場所・宿が沢山あったが、ゴミの後始末に悩まされて廃止した所が多いのだそうだ。

11番藤井寺は相当高齢のお和尚さん?が納経帳に墨書。
寺それぞれに色々な人が納経所におり、最も多いのは女性。次に若いお坊さん。
無口な人もいれば、優しく労をねぎらう言葉をかけてくれる人もいる。

藤井寺の本堂脇から12番焼山寺への道が始まる。
焼山寺までの登り道では3人の高齢男性に追い越された。
自分の歩き遍路スタイルは登山と同様にゆっくりだがあまり休憩を取らずに歩き続けるタイプ。
それでも登山時は人よりも早い方。
この日は、焼山寺までの約13kmの登りで歩きお遍路さんと出会ったのは3人のみ。つまり自分が追い越した人は一人もいない。
お遍路さんには普通の登山者以上に健脚な人が多いのかもしれない。
焼山寺への道は一旦標高700mほど登った後に250mほど下りまた登り返すという心が挫けそうになるコース。
「遍路ころがし」と言われている。
しかし登山道として見た場合は、とても良く整備された登山コースと言える。急登の箇所は少ないが、コース距離が長いことと大下り後にまた大登りが待っているということで結構身体には堪える。

約5時間かけて山頂に、いや焼山寺に到着。追い抜かれた3人の人もどうやら着いたばかりのよう。
追い越された3人のうちの1人は昨日も会った横浜から来た人。またお話して互いにエール交換した。
焼山寺山頂では、私達の後に間も無く到着した私より少し年上の男性とも話をした。
愛媛県の40番目の寺から歩き遍路をスタートして今日で20日ぐらい。
88番大窪寺から1番霊山寺まではバス移動し、昨日は1番から10番まで打ったとのこと。凄い健脚と驚いたが、本人いわく「そんなに早くないし追い越されることも多い」とのこと。
その人とは山頂から下山道の途中にあるすだち館まで約1時間ご一緒して色々な話しをした。特に節約して旅する方法をお互い語り合った。

すだち館で分かれ、私は更に先の神山温泉まで来て野宿地を選定した。
結局近くのコットンフィールドというキャンプ場に1000円で泊まることにしたが、すだち館で分かれた男性と神山温泉で再会。驚いてどうしたのか訳を尋ねるとすだち館では風呂がないため神山温泉に送迎してくれたとの事。
すだち館は安い善根宿なので多少の不便は仕方ない。


鴨の湯にある善根宿


藤井寺本堂脇から焼山寺への道


焼山寺への道途中の下界景色


高野山高校宗教科というのがあることを知った


尾根道。昔はこんなに良い道ではなかっただろう


大木の前に立つ空海。自然に比べ人間の小ささを感じる


標高700m超の場所にある立派な焼山寺


善根宿すだち館


神山温泉

7時10分 鴨の湯を出発
7時40分 11番藤井寺に着
13時00分 12番焼山寺に着
16時30分 キャンプ場に到着

歩行時間 8時間30分
歩行距離 28km

| 四国遍路旅 | 22:33 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

≫ EDIT

5月10日(火) 2番極楽寺~10番切幡寺

天気 曇り後時々雨

今日は9寺を打つ予定。
(遍路では寺を回ることを打つと言う)

今年は閏年記念と四国遍路日本遺産登録記念で各寺で記念札2枚が頂ける。

4番の大日寺は、四国遍路88か所中同じ名前の寺が3寺ある。何か繋がりがあるのか納経所のお坊さんに尋ねたところ、大日如来に由来して名付けられたことの繋がりのみとのこと。

6番安楽寺は温泉付の宿坊がある。
入口の山門脇には近代遍路の確立に尽力した徒歩巡拝全国友の会会長谷正氏の昔標識も全く無い道を歩いた苦労話が掲げられていた。

7番十楽寺には宿坊の他食堂もある。ただし予約制。

9番法輪寺の納経所で最近のお遍路さんの状況を尋ねたら、自分の様に一人歩きお遍路さんが多いらしい。時期的に5月は定年退職した人等が思い立つケースが多いかもしれない。

スタートからここまで予定より若干遅れ気味。スタートも予定より少し遅れていたためのんびりしていられない。
寺での参拝を休憩代わりに15分前後参拝・撮影したら移動の繰り返し。
昨日は遍路さんにほとんど会わなかったが今日は割と多い。
歩きお遍路さんとは20人ほどと会った。
歩き遍路の場合、歩行ペースが同じならば歩きながら話をすることもあるが中々一緒に歩くことはない。各人各ペースで、次の目的地に急ぐ人、身体を気遣いゆっくり歩く人など様々。
私も今回の計画は余りゆとりのない計画で参拝は短め、歩行はゆっくりだが休憩は基本的になし。
10番の切幡寺に向かう道では、私より2~3割早いペースのお遍路さんに抜かれた。
切幡寺でまた出会ったので「健脚ですね」と声をかけたら今日から明後日まで宿を予約済み、その後飛行機で横浜に帰る計画で急いでおり、本当なら小走りで進みたいのだが膝を痛めているため我慢して歩いているとのこと。
明日の計画を尋ねてみると私の1.5倍の距離を予定している。
明日は遍路ころがしの異名を持つ12番焼山寺が待っている。

切幡寺では自転車お遍路さんも2人いた。割と軽装の自転車お遍路さんと話したら徳島に宿を取り日帰り遍路しているとのこと。
この他にも若い外人の自転車お遍路さん3人組(88か所制覇を目指す)や外人夫婦お遍路さんにも会った。外人夫婦お遍路さんとは、寺に着くとどちらかが少し先に着いていて顔を合わせることが3~4回続きお互いニッコリ挨拶。最後は女性の方から「ガンバッテ」と声をかけられた。

この日最後の切幡寺は本堂まで300段以上の石段登りがあり最後の気力を振り絞って登った。
16時過ぎに着いた切幡寺の後には、次の宿泊地まで約10kmの移動があり、宿泊地に着いたのは19時過ぎとなり、流石に疲労困憊だった。
宿泊地の鴨島温泉は善根宿のある歩きお遍路さんの疲れを癒してくれる優しい場所だった。


2番極楽寺の長命杉の紐に触り霊気を頂く


のどかな遍路道。残念ながら今は少ない


遍路道途中の「愛染院」の山門にビックリ


6番安楽寺山門にあったお遍路苦難の過去


聖徳太子が使った馬を繋いだ石?→聖徳太子の時代と繋がりがあるとはビックリ!


10番切幡寺へ向かう長~い石段


寝場所を提供いただいた「鴨の湯」
とても親切でした。

7時00分 ドイツ村を出発
7時20分 2番極楽寺
8時15分 3番金泉寺
9時50分 4番大日寺
10時30分 5番地蔵寺
11時50分 6番安楽寺
12時30分 7番十楽寺
14時00分 8番熊谷寺
14時50分 9番法輪寺
16時15分 10番切幡寺
19時00分 鴨の湯に着

歩行時間 10時間30分
歩行距離 43km

| 四国遍路旅 | 19:19 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

≫ EDIT

5月9日(月) 1日目 1番霊山寺

天気 小雨後夕方から時々曇

朝6時前に自宅を出発。10分後に腕時計が故障していることに気付き自宅に引き返し別の時計と交換後再出発。出だしから躓く。でも空港までのバスの乗り継ぎはギリギリ間に合い大変ラッキー!
飛行機と高速バスを乗り継ぎ13時前に徳島県松茂町からお遍路に出発。
四国は暑いことを覚悟してきたが予想外に涼しく、青森と同じほどの涼しさ。小雨の中一番札所霊山寺に向かう。
出発後間も無くスマホアプリのフィールドアクセスの地図の見方を間違え道無き泥道を進み結局元の道と合流。アプリを新版に更新して未だ慣れていない。
路上で歩きお遍路さんとは一人も出会わず15時前に一番札所霊山寺に着。
案内所で納経帳2200円と納札200円と金剛杖1600円(税別)を買う。
ガイド本によれば、地元の人にお遍路さんと認識してもらうためには金剛杖と菅笠、それに着衣を揃えれば最良らしい。ただしこれらはあくまで一応の目安であり全く準備せずにお遍路してもいいことになっている。
自分は本格的お遍路さんではないが、少しは遍路さん風にしたいため、遍路で一番大切と言われる金剛杖だけは持つ事にした。
霊山寺ではグループ遍路さんや一人遍路さん等10人ほど見かけた。
霊山寺本堂では、般若心経の読経に初挑戦するもトチリ通し。
その後大師堂に寄ると流暢に読経するお遍路さんに出会い、脇でそそくさとお参りを済ませ退出。
本日は、霊山寺から10分ほどの場所にあるドイツ村公園を野宿地にする。
石碑によれば第一次世界大戦の大正6年~9年までドイツ軍がこの地にいたそう。
すぐ近くにある道の駅第九の里はこの地でベートーベンの交響曲第9番が初演されたことから名付けられた。
本日は朝食と昼食は省略。夕方までに飲食したのは飛行機内で飲んだコンソメスープのみ。夕食は道の駅で買った一口饅頭パック・トマト・キュウリと野菜ジュース。
今日は肉食無しで修業中のお遍路さんぽいスタートとなった。


伊丹空港着陸直前の景色


徳島松茂町到着直前のバス車内の景色


一番霊山寺の山門


霊山寺本堂の天井画


大師堂で流暢に読経していたお遍路さん


道の駅第九の里


ドイツ村公園のあずま屋にテント設営

5時50分 自宅出発
8時05分 大阪行き飛行機に搭乗
10時15分 神戸三宮行きのバスに乗車
11時15分 徳島行きのバスに乗車
12時40分 徳島県松茂町のバス停に着
遍路に出発。
14時50分 霊山寺に到着
17時00分 ドイツ村公園に着

歩行時間 2時間40分
歩行距離 12km

| 四国遍路旅 | 20:43 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

≫ EDIT

お遍路のルートについて

お遍路で一周する四国のお寺の所在地は変化に富む。
四国の最南端足摺岬や室戸岬の突端に建つ寺、標高921mの寺を筆頭に標高700mを越えた所にある寺が5寺、88寺のうち最も近い寺間距離は0km(隣同士)で最も遠い寺間距離は85km、人家のない山奥や海沿いの寺もあれば、住宅街や都市の真ん中にある寺もある。

次に四国お遍路ルーツの伝説を紹介したい。
「その昔、修業で四国を巡っていた弘法大師は、現在の愛媛県松山市のとある屋敷の門前に立ち托鉢をしていた。その屋敷の主人は衛門三郎という名の長者で、身なりの貧しい大師を追い払い、大師が持っていた鉄鉢を8つに割ってしまう。その後、三郎の8人の子供たちが次々に命を落とす。三郎は大師に対しての自分の行いを悔い、大師を求めて四国を回り始める。20回ほど回っても大師に出会うことができず、逆のコースで回り始めた。しかし四国霊場12番焼山寺近くで行き倒れてしまう。意識が遠のくなか、大師が現れ、改心した三郎を許す。そして最後の望みとして「かなうなら領主の家に生まれ変わりたい。そして民衆のために尽くしたい」と言い残す。大師は小石に”衛門三郎再来”と書き三郎の手に握らせた。その後伊予の領主河野家に男の子が生まれ、子供の手から”衛門三郎再来”と書かれた小石がこぼれ落ちた。この子供は三郎の生まれ変わりだと人々は驚き、この小石を安養寺に納めた。安養寺は石手寺と寺名を変え51番札所となった。」(横山良一著「必携!四国お遍路バイブル」2006年1月集英社新書より抜粋)
この伝説に基づくからなのか、徳島の1番札所から時計回りに香川の88番札所まで順回りに巡拝する(順打ち)よりも、時計と逆回りに巡拝する(逆打ち)遍路の方が3倍ご利益があると言われる。

今回私は順打ちで回る計画。
遍路道の多くの場所には「へんろみち保存協力会」が設置した標識があり大変有り難い。ただしこの標識は順打ちを意識した標識のため逆打ちだと見落とす可能性もあるらしい。更にルート上にはお遍路さんが道迷いしやすい箇所もあるようだ。
先に紹介した「だいたい四国八十八か所」(集英社文庫164頁)や四国遍路旅行記の名著と言われる「四国遍路」(辰野和男著2001年4月岩波新書138頁)の本文中でも記述されている44番札所大宝寺に向かう山道には道間違いしやすい箇所があるようだ。
今回の旅では「四国八十八か所めぐり」(2015年5月昭文社)を購入して付録の地図アプリをスマホのiPhoneに入れて道間違いしないよう旅したい。
ご利益よりも先ずは確実に旅を続けることを優先したい。

| 四国遍路旅 | 10:37 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

≫ EDIT

四国歩き遍路に挑戦!

暫くお休みしていたブログをまた始めます。
今年は四国八十八か所お遍路に挑戦します。
四国遍路とは、弘法大師・空海ゆかりの四国八十八か所のお寺(徳島23+高知16+愛媛26+香川23)をお参りしながら四国を一周する旅です。
今回は総距離1200kmを5週間で歩く計画です。
「四国遍路のあゆみ」(平成12年度:『ふるさと愛媛学』調査報告書より)によれば、お遍路さんの移動手段は、巡拝バス利用者が約89000人、自家用車利用者が約10000人、歩き遍路約1000人だそうです。(昭和58年頃の年間遍路者の数値※1)
また「必携!四国お遍路バイブル」(横山良一著、H18.4集英社新書)によれば、「年間30万人のお遍路が四国を巡って(中略)歩き遍路の割合は百人に1人、年間3千人。半数はリピーター」ということのよう。
お遍路をする人の目的は様々であり、私の身近にも定年退職を機に東日本大震災の慰霊のために遍路した人や、妻を亡くした翌年に供養のために遍路した人がいます。
私自身は、遍路に祈りを込めるというよりも「遍路なるものを一度体験したい」「四国の自然を歩きたい」ということが目的のような感じです。
「だいたい四国八十八ケ所」(宮田珠己著、H26.1集英社文庫)の作者は、敷居の高いイメージがある四国遍路を身近なイメージに変えてくれており、著者の遍路の目的は「一周してみたい(四国)、全部回ってみたい(八十八ヶ所)、いっぱい歩きたい」ことが目的。正に百人百様を表現した抱腹絶倒旅行記です。
切実な祈りを持たず旅行することに躊躇を感じていた私も、この本のお蔭で四国遍路旅を決断した次第です。
他に、まだ4山残っている百名山制覇登山旅行のための体力養成、野宿経験の蓄積(四国遍路と北海道旅行は野宿テント泊がしやすそう)、食事・水分と体力維持の関連を知りたいという裏目的(真の目的?)もあります。
でも一応お寺参りの時は般若心経を唱え身近な人の家内安全と世の中の平和をお祈りする予定です。
今回の旅についても、昨年の「みちのく潮風トレイル」同様に、毎日ブログをつけたいと思っていますが、みちのく潮風トレイルの時よりも野宿割合や山奥滞在割合が多そうなため、ブログ更新に必要なスマホのバッテリー量や電波受信状態に不安もあり毎日更新は大変そうです。
5月9日(月)に青森を出発して、当日から四国の最初の寺に向かう計画です。
今年もブログにお付き合いよろしくお願いします。

※1 「四国遍路のあゆみ」(平成12年度:『ふるさと愛媛学』調査報告書)のサイト
http://ilove.manabi-ehime.jp/system/regional/index.asp?P_MOD=2&P_ECD=1&P_SNO=10&P_FLG1=3&P_FLG2=2&P_FLG3=1&P_FLG4=2

| 四国遍路旅 | 10:32 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

| PAGE-SELECT |