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五十路日本ひとり旅

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障害を乗り越えて ~ 新サイト移行 etc

今年も間もなく中期間の旅行を予定。
新サイト(2020年みちの旅:michinotabi.com)で旅日記を投稿予定。
【こちらのブログへの投稿は暫くお休みの予定です。】
新サイトから記事を閲覧いただけたら幸いです。】
しかしスマホから新サイトへの投稿は未経験。
ということで今回はスマホ投稿テストを兼ねての記事。

新サイト開設時に起きた悩み事や障害を時系列で列挙。
1.サイト開設のツールをワードプレス(WP)に決定する(1週間)
2.FC2ブログからWPへのデータ変換作業(3週間)
3.サイト公開のドメイン取得とサーバーの選定(3週間)
4.サーバー移行の際のトラブル対応(1か月)

この新サイト開設を計画した理由はルートデータ等の情報を見やすくしたかったため。
自分が自転車旅行や登山を計画した際も他の人のルートデータを大いに参考にした。
ルートデータが見やすい形で提供されていればとても頼りになる。
ブログのままで情報が増えると過去の情報閲覧が難しくなると心配した。
自分も他の人のデータを利用しお世話になった分の返礼の気持ちでサイト開設。
色々調べたら無料で多くの機能が利用できるのがWPというツールだった。

また新サイトを開設すると旧FC2ブログの記事が何れ消失する心配もある。
このため面倒でもFC2ブログの記事データを新サイトに移行しようと考えた。
文字化けや改行コード等のコード変換作業が発生する度にやり直しを繰り返した。
ただしこれらの作業はネット接続せず自分のPC内だけで作業できる点は助かった。
データ変換作業に苦労しつつやっと区切りをつけサイト公開の最終準備にかかる。

サイトのドメイン(michinotabi.com)は1年間約千円で3年分を取得した。
また万が一のことを考え予備の無料ドメイン(michinotabi.tk等)も取得済み。
次の段階のサーバー選定の作業で大変な苦労をした。
サーバーは色々な業者が提供している。無料~月額千円以上まで千差万別。
無論安いものを優先したい。しかし安いとデメリットも多い。
サーバーのスピードが遅い。分かり難い、トラブル対応等が手薄等々。
無料のXDomain、AmazonのEC2、FC2サーバー、その他……。
1月下旬に公開した直後サイト表示が異常に遅い問題が発生し急遽公開中止。

サイト表示遅延の原因は現在も特定できていない。
疑っているのは記事中に挿入している写真等のデータ。
写真データ等は記事と切り離して保存されるが保存場所の表記を間違うと機械上の処理が迷路に入り遅延する様に思う。
現在はほぼ問題ないため積極的に原因究明する気が薄い。
そのうち気が向いて原因究明が進んだら何れ報告するかもしれない。

当サイト公開にあたっては知識の乏しさを痛感させられた。
今までFC2ブログ「五十路日本ひとり旅」では業者提供の機能を適当に利用していた。
ネット上ではHTMLという文法で文章を記述するが十分理解せずに記事を書いていた。
FC2からWPに移行するために初めてHTMLを少しだけ勉強した。
またドメインやサーバーの仕組みも今回を機に少しだけかじった。

公開を中止し原因究明をしている途中では障害に挫折し諦めかけた時期もあった。
何とか公開までできたのは相当に運が良かったと思っている。

私の自宅の近くに赤川という川があり周辺をランニングコースにしている。
川に架かる橋からは八甲田山の全容を見晴らすことができる。
毎年この川には冬になると百羽前後の白鳥が飛来する。
12月頃に越冬のため飛来し3月頃には旅立っていく。
赤川には1羽の白鳥が住み着いている。
約10年前に越冬で飛来し何らかの原因で羽を痛めてしまったらしい。
多分飛ぶことが出来なくなったのだろう。
仲間の白鳥が3月に飛び立ってもこの白鳥だけが赤川に残っている。

赤川は以前ブログに掲載した楢木森山が源流になっている。
川幅は最長15mほど川の全長は10kmもない小さな川。
11月から5月頃まではこの白鳥をランニング中に時々見かける。
しかし暑い時期には自宅近くの川沿いで白鳥の姿を見ることはない。
毎年「今年はあの白鳥は死んでしまったのかしら?」と思う。
しかし毎年晩秋には白鳥と再会できている。
住民が時々あげる餌や川草等で、食事には余り心配ないかもしれない。
暑さに対してはどうなのかネットで調べたら以下が見つかった。

日本獣医学会Q&A「北へ渡らず残っている白鳥が心配です」
http://www.jsvetsci.jp/10_Q&A/w20080724.html

私もこの白鳥に見習って障害を乗り越え人生を全うしたい。

八甲田山と赤川と白鳥(H30.3.30. 8:50撮影)
八甲田山と赤川と白鳥
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| 様々なこと | 16:15 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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責任の取り方?「佐川証言」等々

先ず昨日の佐川前理財局長の証人喚問で矛盾を感じたことを書きたい。

官邸は文書改竄に関与していない旨の証言の抜粋
「文書改竄に総理官邸筋は一切関与はない。」
「全て理財局が対応した。」
「理財局職員には直接確認していない。」
「自分は理財局の長。重要案件は全て自分に報告される。」
(答弁の要旨を私の曖昧な記憶で書いたので誤りがあったらご容赦)

つまり官邸関与について、自分には官邸から指示がなかった。
また仮に官邸から部下に指示があれば、長たる自分には必ず報告される。
その報告がなかったから、部下にも官邸から指示はなかったと言える。
という理屈で「官邸の非関与」を証言したと思われる。

一方で文書改竄に関する自分自身の関与についての証言の抜粋
「刑事訴追の可能性があるので答弁は控えたい」
「改竄前と改竄後の文書を見たかどうかも答弁を控える」
「改竄前の文書を知っているかどうかも答弁を控える」

文書改竄と自分自身の関わりについては一切の答弁を拒否していた。
でもこれは官邸の関与については絶対無いとした答弁と矛盾?
官邸関与を否定した根拠を述べる時は、
「自分は理財局の長として全ての重要案件を知っているから官邸関与は絶対無いと断言」
ところが文書改竄と自分自身の関わりは
「理財局の長として文書改竄と言う重要案件に関わっているかどうか答弁できない」

もし組織の長として全て知っている立場で「官邸の非関与」を断言するのならば、
文書改竄も組織の長として絶対知っていることになり、自分の罪を断言しないといけない。
仮に「組織の長だが自分の知らない所で文書改竄があった可能性もある」ため答弁拒否なら?
官邸の非関与が絶対ないという理屈も成り立たない。
とても後味の悪い「茶番劇」を見せられた気持ちになった。
官邸にも、役人にも、総理夫人にも、自ら積極的に責任を全うするという姿勢がない。

話を変えて、天皇の沖縄訪問と原発問題。
沖縄は太平洋戦争で多くの死者を出した最後の玉砕戦の激戦地。
現天皇(今上天皇)は昭和8年12月23日生まれ。終戦の時に11歳。
小学生で戦争の悲惨さを味わい沖縄の苦難にずっと思いを寄せたのだろう。
沖縄の今日までの苦難の歴史に現天皇として出来る限りの責任(努め?)を果たそうとの意思。
また天皇は機会ある毎に震災の被災地や原発被災地等を訪れ慰問をしている。
天皇は自分の責任(任務?)をとことん突き詰めて命懸けで責任を全うしようと感じられる。

戦争にしても原発事故にしても関係者は「二度と起こしてはならない」と述べる。
一方では日本の防衛のために自衛隊海外派遣は必要・憲法改正も必要という自民党。
原発についても安全性を確認し国内原発の再稼働や海外への原発輸出を進めている。
武器を持ち迫る相手に武器で対抗しようとするならば戦争を回避できないのでは?
科学技術で絶対安全な物が作れないなら原発事故が二度と起こらないと言えないのでは?

責任のある態度とは現実に起こったことや危険の可能性があることを直視すること。
問題に真摯に立ち向かい、課題があるならそれにどう対応するか真剣に議論する。
反対意見にも耳を傾け、反対意見にどう向き合うか決意を示すことが責任ある態度と思う。
上に立つ人が模範を示さなければ、部下や人民の心は離れていく。
更に手本となるべき人が責任を示さなければ、責任を逃れようという人が増えるのではないか?
私自身も生き方に恥じ入ることも多々あるが、次世代への責任を負う一人の意識は持ちたい。

| 様々なこと | 13:30 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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急死とその原因? 歯周病?

昨年末のブログで知人との死別を書いたが今年も早々に悲しい別れがあった。
私が早期退職した職場の直属上司で私の早期退職を案じてくれた人が1月に急死。
頭脳明晰で判断力にも優れ更にスポーツマン、外見はクールだが情に厚い人。
私より2歳年上で定年後に再就職もして、仕事が好きな人で一見元気そうだった。
但し見かけとは異なり7年ほど前に脳卒中の前科があり食生活に注意していた。
1月に職場仲間とスポーツ中に突然倒れそのまま亡くなった。病名は大動脈解離。

私の元上司では他にも8年ほど前に60歳代前半で急死された人がいる。
まだ現役として重責を担う役職で多忙だった時に脳卒中で倒れそのまま急死した。
この人もいつも元気そうなスポーツマンで私が20歳代に直属上司だった人。
お酒の好きな人で職場が同じ当時は虫歯が無いのが自慢だったが歯周病があった。
他にも職場を共にした歯周病の疑いのある人が3年弱前に急死している。

前回のブログで少し触れた歯周病(歯槽膿漏)は単なる口の中の病気ではない。
最近購入した数冊の歯周病関係の本の中で特に衝撃を受けた本がある。
「白米が健康寿命を縮める」(花田信弘著、H27.12.光文社新書刊)
歯茎から血が出るのは良く聞く話だが歯と歯茎の隙間には沢山血管が集まっている。
そして全ての人の口の中には多くの細菌を住み着いている。
更に現代の食事は白米を始め多くの炭水化物・糖質を摂取している。
この3要素はほぼ全ての人に当てはまる。
ここに歯周病が加わると歯茎の血管から大量の細菌が体内に侵入し血管を傷つける。

人間の身体は細菌に対して皮膚や胃腸等で強い抵抗力(免疫力)で防衛している。
しかし血管は皮膚や胃腸等に比べて抵抗力が弱く細菌の勢力が強いと急速に重篤化。
例えば外傷を負って傷をそのまま放っておくと敗血症等で死亡する場合がある。
私の身近な人も1年前に自転車で転倒し怪我した傷口からの細菌で数日で急死した。
急死自体には個別の原因があるが、遠因として血管が徐々に傷んでいたのかもしれない?

歯周病や歯石が多い人の場合、歯茎の隙間から大量の細菌が血管に入る可能性がある。
更に口の中に糖分が多い場合は細菌が糖分を栄養にして勢力を拡大させる。
細菌が口腔内血管から侵入しても抵抗力が強い人は血管内で細菌を退治できる。
一般に若い人は免疫力も強く抵抗力があるが幼児や高齢者や病気気味の人は抵抗力が弱い。
人間の身体の中で血管が外部に剥き出している唯一の弱点が歯茎。
近代以前は甘味少量で硬い食物が多く歯周病は少なかった。現代は虫歯・歯周病多数。
原始的生活では歯磨き不要で健康な実例や抜歯すると元気になる実例も多いらしい。

この本には「歯茎の内側から入った細菌は約90秒で上腕部に達している」(74頁)とある。
以前に旅ブログで「渇水時の飲水で直ぐ身体の隅々まで水が行き渡る感覚」と書いた。
また「糖分を摂取して間もなくすると足痛を感じる」ということも書いた。
しかし自分の中では水や糖が胃腸を通過してそれ程早く身体が反応するのか疑問だった。
この本で、水や栄養や菌が歯茎から血管を経由し素早く全身を駆け巡ることを知った。
自分の感覚に間違いはなく人は口腔から血管へと猛スピードで良い物悪い物が往来する。
そして敗血症の前段には菌血症があり血管に忍び込む菌は徐々に身体を蝕む可能性がある。
口から入った菌は血管を炎症させ人間が罹る多数の病気と関係していると疑われる。
脳梗塞、心筋梗塞、腎臓病、高血圧、糖尿病、ガン、リウマチ、髄膜炎、肺炎、等々。
例えば関節リウマチ患者の関節から歯周病菌も見つかっていると本には載っている。

私は歯科医から歯周病と判定された後この本を読んで相当ショックを受けた。
一方で旅行中に口から身体の中に物を摂取した時の身体の反応の体験から得心もした。
最終的には歯周病を完全に防ぐ最新の治療方法があるらしいし青森でも治療できそう。
ただし現時点では自分の普段の生活改善で取り組んでみたいと思っている。
他の本を読むと漢方うがいや塩うがいが多少効果が期待できるらしい。
今は「薬用生葉」と「岩塩」と「重曹」のうがい+歯磨きを試行中。
これに献血時の血液検査と血圧測定で体調変化を観察して当面は様子見したい。
急死はしたくないが、どうせ死ぬのならば急死の方が良いかしら?

| 様々なこと | 22:40 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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困難と挑戦

祝!村岡桃佳選手。アルペン女子大回転金メダル!

2月に新サイト開設を案内した直後に問題発生して急遽公開延期しました。
今回やっとお知らせしても大丈夫そうになりました。
新サイトのアドレスは「michinotabi.com」。

ホームページの開設にこれほどまで苦労するとは想定外。
昨年の11月から今年の2月まで約4か月の間、何度か断念も考えた。
そのうち機会があれば何が問題だったか書くかもしれない…?
今は少し新サイトの整備作業から手を休めたいというのが本音。

自分は色々な課題や問題に挑戦するのは決して嫌いではないタチ。
自分で課題を見つけて少しずつ解決に近づくのは面白いと思う。
しかし問題解決の見通しがたたず暗中模索が長期になると意欲衰退。
今回は知識不足と問題の原因が分からないのが辛かった。
もしかすると他の人もサイト開設を試みて挫折するケースも有り…?
何とか新サイト開設をお知らせできるのは運が良かったかも…。

新サイト整備作業を一区切りとし、今年も新たな挑戦を準備中。
3週間ほどの徒歩旅行(2回?)と、東北の登山旅行を検討中。
昨年の山歩旅の反省を踏まえ、水と食料と体力の関係を実験したい。
早ければ4月に1回目の旅に出かけることを検討中。
今回も旅行中か、旅行終了後かに、報告したいと思っています。

さてサイト開設準備中には平昌オリンピックで勇気をもらった。
挫折しそうな時に見たオリンピックでまた頑張ろうと勇気が沸いた。
特にスピードスケートの小平奈緒や高木美帆の苦難の歩み。
羽生結弦や渡部暁斗のオリンピック前の怪我を乗り越えた挑戦。
カーリング女子チームの不利になっても最後まで諦めない姿。

羽生結弦は11月のNHK杯前日練習中に「右足関節外側靭帯損傷」。
渡部暁斗は2月のW杯白馬大会公式練習中の転倒で「左肋骨骨折」。
2人ともオリンピックでは痛み止め薬を使ったが試合前は一切無言。
想像するしかないが痛み止め無しでは競技が無理な状態だったのだろう。
それでも弱音を見せずオリンピックで優秀な成績を上げた。

大相撲の世界では稀勢の里が1年前に「左上腕二頭筋と左大胸筋損傷」。
羽生結弦と怪我の箇所は違うが、筋と靭帯の損傷で治療は似ているらしい。
怪我をしたら直ぐにRICE処置をする必要がある。
Rest     (安静)
Ice    (冷却)
Compression(圧迫)
Elevation  (拳上)
つまり患部を安静にし、自己治癒力(自然治癒力)で回復を待つ。
渡部暁斗の骨折の場合も患部固定で自己治癒での回復を待つのは同じ。

私も小学校4年の時に上級生に投げ飛ばされ右腕を骨折したことがある。
2か月ほど右腕をギブス(石膏)固定し肩から腕を吊り下げ安静にした。
50年経過し医療は進化しても骨折や筋損傷に自己治癒力での治療は同じ。
本来は渡部暁斗はまだ安静にしていなければいけない時期。
羽生結弦にしても怪我から3か月ではやっと身体を徐々に慣らす時期。
2人共に治癒途中に痛み止めし競技したのはオリンピックに全て賭けたため。

同様に稀勢の里も横綱としての意地と責任感等、で怪我の翌日も強行出場。
見事新横綱で優勝を成し遂げたが、その後は6場所連続休場で現在も未完治。
稀勢の里の場合、羽生や渡部と違い格闘技で相手の圧力と闘うため負担も大きい。
二代目貴乃花が負傷しながら武蔵丸を破り優勝し「小泉首相が感動した」のが17年前。
その後貴乃花は7場所連続休場し、負傷優勝を最後に怪我が原因で引退となった。
稀勢の里も貴乃花も「困難に挑戦し栄光を遂げた」が、その後の代償は大きい。
羽生や渡部も困難に挑戦し立派に戦ったが、今後はどうなるのだろう?
人々に感動を与えてくれた代償が選手生命の短縮に繋がらないことを祈りたい。
それでも何があっても本人は自分の決断に後悔することはないのだと思う。

オリンピックで勇気を貰った私も、多少の困難に今年も挑戦してみよう。

| 様々なこと | 21:40 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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「みちの旅」サイト開設のお知らせ(延期)

サイトの開設にあたりトラブルが発生して、サイトとの接続ができないようです。
事前にテストで接続が確認できたのですが、トラブル発生で申し訳ありません。
トラブル原因が不明のため、確認の時間が必要のためサイト開設を延期します。
復旧しましたら改めてお知らせします。


********* 以下、トラブル前に掲載したものです。 ********

前回ブログで「新サイト」を12月頃にオープンしたいとお伝えしてました。
この度ようやく6割ぐらい出来上がりましたので仮オープンしたいと思います。
様々な問題が次々発生して予定を大幅に超過してしまいました。

新しいサイト名は、「2020年 みちの旅」です。
サイト名をクリックか、「michinotabi.com」「michonotabi.tk」でアクセスできます。
未だ完成には程遠く手入れが多々必要ですが見切り発車で公開することにします。

「2020年 みちの旅」は、「2001年 宇宙の旅」と「未知との遭遇」をモジって命名。
2020年の東京オリンピックまではサイト(&旅)を続けたい願望を込めています。
「みちの旅」は「未知」の世界を「見たい・知りたい」との思いの「見知の旅」。
更には「道の旅」かつ「みちのく旅」「みちの苦?旅」の想いも込めて……

昨年末NHKBSで「2001年 宇宙の旅」を放映していました。
洋画の中で私の一番好きな映画です。
ちなみに邦画は黒澤明映画が断トツ好きで、一番は「生きる」。
でも「七人の侍」「天国と地獄」「赤ひげ」も同じぐらいに好きです。
こちらも「天国と地獄」以外は年末BSで放映していました。

最初に2001年を見たのは約40年前20歳頃にリバイバル上映された時でした。
物語は難解で監督キューブリックの意図も不明でしたが映像美に魅せられました。
リバイバルの時に映画館で3回観てその後もビデオで4~5回は観たと思います。
今から50年前に作られた映画ですが、今でも古さを全く感じません。
人工知能コンピュータのエピソードは今の問題を予言している様にさえ感じます。
何時か機会があったら人工知能の話も書きたいですが今の私には手が出ません。
今は手に負えませんが興味は大きく老化予防も兼ね少しずつ勉強するつもりです。

「旅」「身体」「技術」は新サイトの重要なテーマだと考えています。
ちなみに映画「生きる」「赤ひげ」も身体(健康)はテーマの一つだと思います。
人間は身体(健康)と欲望の狭間で死ぬまで悩みながら一生を終える生き物かな?

さて、今まで「五十路日本ひとり旅」で続けたブログは順次新サイトに移行予定です。
ただ新サイト運営も未だ不慣れなため、当分は旧ブログも並行運営の予定です。
いつまで続くか分からないけれども宜しくお付き合い頂ければ幸いです。

| 様々なこと | 14:00 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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五十路の卒業と同世代知人との別離

先月の11月に晴れて五十路から六十路になった。
当ブログ「五十路日本ひとり旅」の今後を考えないといけない。
60歳になる私にとって今年は特別に記憶される年になった。

私と同年代の繋がりの深い二人の知人との別れがあった。
一人は退職前の最後の職場で2年間仕事を共にした人が5月に死去。
もう一人は高校時代から付き合った40年来の友人が11月に死去。
謹んでご冥福を祈る。二人共に、脳のガン系の病気で死去。
約60歳の二人が似た様な病で同じ年に亡くなるとはショック…

二人が現世に別れを告げた事実について考える。
二人の性格は対照的。
2年間職場を共にした元同僚は部下思いで多くの人から慕われた人。
殆どグチを言わず気さくに誰とでも話し仕事も早く熱心だった。
一方高校時代の友は無口で真面目で世渡りや人付合いはあまり得意でない。
しかし責任感が強く仕事に全力で取り組み職場でも役割は多かったらしい。

一方で二人には共通する点もある。
・仕事には熱心に取り組む。
・仕事で精神的・肉体的に負担があっても弱音は吐かない。
・自己主張は内に秘めつつ表面的には穏やかで家族思い。
・慢性的な持病があった。
・運動不足(運動嫌い?)で食生活は偏り気味。

二人とも亡くなる間際まで家族には気丈に振舞ったらしい。
回復が望めなくとも「最後まで諦めず頑張る」姿を示した元同僚。
痛みに苦しみつつ緩和ケアは最小限にし家族の金銭面を気遣った旧友。
旧友は亡くなる前までうわ言で仕事の事を気にしていたらしい。
一人は脳腫瘍、もう一人はガン性髄膜炎。

脳とガンの関係についてはH29.2.3.掲載ブログで触れたことがある。
脳にガンが転移となれば絶望的な状況。
そんな中で「極端な食事療法」で奇跡的に回復した実例が海外にある。
果たして自分がそんな立場になったらどうするだろう?
回復に見込みがない状況ならば危険な賭けに望みを託すこともあるかも…

二人の通夜に参列し家族の話を聞くと、無念さが滲んでいた。
何故、二人ともに突然に絶望的な病に侵されたのか?
最後まで気丈で家族思いだったことが悲しみを増した面もある。
家族には、無念さと後悔が残り、気の毒としか言えない。

人は遅かれ早かれ必ず死ぬ。
「山の遭難」(羽根田治著、H22.1.平凡社新書刊)で紹介された遭難事故。
26歳の東農大山岳部OB松濤明が友人と昭和23年12月槍ヶ岳に登山。
途中で猛吹雪に遭遇。力尽きた友人を見捨てられず自分も死を決意。
死の直前まで冷静にメモを残し、優しさ、冷静さ、精神力に胸を打たれる。
何故か私の二人の知人の死と重なって心に迫るものがある。
松濤のメモは後に「風雪のビバーク」として書籍となる。

このブログの中でも、人の生き方を考えてきた。
自分の人生の残り時間は分からない。長いかもしれないし意外と短いかも?
できるだけ後悔の少ない生き方がして残された時間を有効に使いたい。
今までブログに掲載したものを少し見易くまとめたい気持ちもある。
60歳になったのを一区切りにブログからホームページへ切替を準備中。
何とか年内にホームページを立ち上げたいと思っている。
準備ができたら当ブログでお知らせしますので、また宜しくお願いします。

| 様々なこと | 11:37 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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「田部井淳子の歩んだ道」~青森での講演会から~

「田部井淳子の歩んだ道」
今日、青森市で表題の講演会が開催された。
田部井淳子さんは10月20日に亡くなられた。
当初はご本人が講演される予定だった。
亡くなられて2週間余、夫の政伸氏が代役として座談型式で講演された。

淳子さんは幼少期は運動が苦手だった。
小学校時代に良き指導者に出会い登山に目覚めた。
速さを競うスポーツでない事、己の力だけが頼りという事が、登山好きの理由。

20歳代で政伸さんと登山で知り合い、助け合えるパートナーと互いに納得し結婚。
30歳代で女性世界初の世界最高峰エベレストに登頂成功。
この時の登山途中のテントの中で雪崩に襲われ、人生で最悪の苦難を体験。
一緒に登頂を目指す女性群から登頂断念を勧められても登頂できると主張を貫く。
50歳代で女性世界初の世界7大陸最高峰の登頂に成功。

10年前の60歳代で乳ガンを発症。
71歳の時に東日本大震災を経験し、福島三春町出身の淳子さんは活動開始。
震災翌年の2012年から東北の高校生の富士登山活動を企画・実施。
この時期に腹膜ガンを発症していたが周囲の人には知らせず。
主治医の話によるとガンと知っても動揺する様なことはなかった。
山で苦難を経験し死と向き合ってきた人間は残された時間を冷静に尋ねたらしい。
今年2016年も富士登山に行ったが足が弱まり本人は山頂までは登れなかった。

9月までは本人が青森に来る予定だったが、ガンの進行で止むを得ず夫に代役依頼。
亡くなる数日前に夫への感謝を綴り、亡くなる直前山の絵を書き亡くなった。
死の間際まで他人への思いやり、身内への感謝、自分の意志を貫いた人生。

時々テレビで拝見した田部井淳子さんは穏やかな語り口で優しそう。
講演では、ガンが進行し周囲が登山中止を進言した際に淳子さんは「何故もっと前向きに生きようとしないの」と周囲に対し苦言を呈したというエピソードが紹介された。
今回の講演会で田部井淳子さんの強い意志、前向き、冷静さ、山への熱烈愛を知った。 

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iPhone4&5のバッテリー交換に挑戦!

今年も(自転車旅行以外の)旅行に行きたいため、日々鍛錬に励んでます。
去年の自転車旅行で一番世話になったのがiPhone4だったが、去る11月に中古のiPhone5を買い足した。
今後旅行に行く時はiPhone5をメインに考えているが、中古のためかどうかバッテリーの調子がイマイチ。
購入当初はバッテリーの持ちが異常に短く、使い込むうちに幾らか改善してきたが、残量表示に相当難有の状態。
ひどい時は40%程バッテリー残量があると表示しながら、いきなりバッテリー切れが発生することもある。

何とか改善できないかネットで調べたが見当たらず、代わりに自分でバッテリー交換するサイトが見つかった。
「自分で修理.com」というサイト(http://www.j-fix.biz)。
iPhoneの分解の仕方も動画で詳しく紹介されていて、これなら自分でも出来そう!
早速iPhone4と5のバッテリー交換キットを注文(iPhone4は2,980円、iPhone5は3,980で、送料が500円)。
注文した翌日には商品が到着。

最初は、失敗しても被害が小さいiPhone4からチャレンジ。
「動画解説」と「画像解説」と商品同梱の「取説」を見比べながら開始。説明で使われる取り外しツールと現物が異なっていて戸惑いながらも20分弱でバッテリー交換が無事終了。

次にiPhone5にチャレンジ。
先ずフロントパネルの取り外しに苦労。
iPhone4では裏板をずらして簡単にできたが、iPhone5は吸盤を使って外す方法で、動画のように簡単にはいかない。
画像解説にあるように吸盤と取り外しツールを両方使って10分ほどかかり何とか外した。
(動画の様に吸盤で吸い上げようと何度も繰り返したため吸盤自体が結構ボロボロになった。)
その後ケーブルとソケットの取り外しもiPhone4より部品が細かいため気を遣って実行。
そしていよいよバッテリー交換。動画解説では簡単にバッテリーを外しているが……
バッテリーを外すためのシールを引っ張るとシールが途中から切れてしまった。
画像解説にある様にバッテリーの四方からツールを使い少しずつ浮かせるように作業した。
作業をすること20分、何とかバッテリーを外し終えたが、バッテリーは粘着材で本体にくっつけられていたのだ。
外し終わったバッテリーは結構ボロボロ。
その後の交換用バッテリー取付から最後のフロントパネル取付までは概ねスムーズで、合計作業時間は1時間弱。
バッテリーを外す時に結構力を加えたため、本体に悪影響が無いか心配しながら電源を入れると、無事作動したようだ。

iPhone4もバッテリーと本体は軽く粘着されていたが、iPhone5の粘着度合は非常に強力だった。
香港製のiPhoneだからなのか? 日本製のiPhoneではこんなことはない? のかは不明。

DSC09466.jpg 

今回使用したキットのセット。
右側がiPhone5用で手前が交換した古いバッテリー。粘着材の痕跡と端端に取り外しに苦労した爪痕が残っている。

ちなみにiPhone4のバッテリーは1420mAh、iPhone5のバッテリーは1440mAhで、思ったほど容量差はなかった。
iPhone4と5の交換前と交換後のバッテリーはいずれも中国製で、iPhone4キットに同梱されたバッテリーは交換前の物とまったく同じ製品の様に見うけられた。iPhone5の方はバッテリーに記載された文言に多少の違いがあった。

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